●劉六・劉七の乱 りゅうろく・りゅうしちのらん
アジア 中華人民共和国 AD1506 明
中国明代中期の正徳年間(1506〜21)の民衆反乱。正徳初年,劉瑾ら宦官一派による苛歛誅求(かれんちゅうきゅう)がとくに激しかった京畿地方では盗賊が多発した。騎射を得意とする劉六・劉七の兄弟は当初は捕盗に協力して功績をあげていたが,劉瑾の手下による賄賂の要求を断って一転して官憲に追われる身となったのを契機に,無頼の徒を集めて造反した。以後,各地の州県を撃破して勢力を拡大した反乱軍は二手に分かれ,劉兄弟の集団が河北・山東方面で,楊虎・劉三らの集団が河南方面で各々活動するようになった。河南の反乱軍は生員あがりの知識人の助言により組織や政策も比較的明確であり,規模も大きかったが精鋭を欠き,辺軍(辺境防衛軍)により増強された官軍の攻撃であえなく壊滅した。劉兄弟の反乱軍も,その機動力によって何度か北京に肉迫したものの,1513年7月には揚子江下流域の狼山にまで追いつめられて壊滅した。