●劉知幾 りゅうちき
アジア 中華人民共和国 AD661 唐
661〜721 中国,唐の歴史家。字は子玄,諡は文。その名が玄宗の諱である隆基と音が類するので劉子玄として知られる。若いころから史書に親しみ,兄知柔とともに文詞をもって知られ,弱冠にして進士に及第し,獲嘉主簿となった。則天武后の證聖の初め,政治の得失を論じて蘇味道や李喬に認められた。長安年間,左氏兼修国史に累遷し鳳閣舎人を拝し,中宗のときに太子率更令,睿宗のときに太子左庶子兼崇文館学士となり,玄宗の開元初めに左散騎常侍となった。この間,つねに史書編さんに関係したが,長子コウ※注1※の犯罪に関して訴えたため安州別駕に貶された。没後,汲郡太守,ついで工部尚書を贈られた。史学には才・学・識の三長が必要であるといったことは名高く,『三教英珠』『文館詞林』『武后実録』等,長年の編さん事業の経験を生かして『史通』20巻を著し,この書は中国ではじめての史学概論の書と評価しうる。『劉氏家史』15巻や文集30巻等の著作があった。〔参考文献〕『旧唐書』巻102
『新唐書』巻132 劉子玄伝
増井経夫訳『史通』1981,研文出版
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