●劉坤一 りゅうこんいつ
アジア 中華人民共和国 AD1830 清
1830〜1902(道光10〜光緒28)中国清末の洋務派の政治家。湖南省新寧県の生まれで,字はケンソウ※注1※,諡は忠誠。1855年自ら団練を率いて湖南に侵入してきた太平軍を駆遂,翌年劉長佑・江忠源に従い,楚軍を率いて江西・湖南・広西に転戦し,軍功により1861年広東按察使を授けられた。1862年から広西布政使,1865年から江西巡撫,1875年から両江総督・両広総督,1879年から両江総督。1881年から一時職を去って帰郷したが,1890年に両江総督に再任された。それから両江の任地を離れることなく,湖広総督張之洞とともに清末の政界で活躍した。1894年日清戦争のときには,江寧将軍や欽差大臣に任命され,山海関に一時赴いた。義和団事件の際は,張之洞とともに排外運動を弾圧し,対外戦争のよくないことを唱え,列強と東南互保協定を結び,清廷の宣戦命令を無視した。事件後は張之洞と共同で,政治・軍事・教育の改革,西洋文明の採用を提唱し,積極的な活動をしたがまもなく没した。著書に『劉忠誠公遺集』66巻がある。
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