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●李白 りはく

アジア 中華人民共和国 AD 

 701〜762 唐代の詩人。杜甫と並ぶ盛唐の代表詩人。杜甫を“詩聖”とするのに対して,李白は“詩仙”と称されている。字は太白。李白の素性については,今なお不明なところがいろいろとある。李白の父は,中央アジアを舞台とするシルク=ロードの隊商として活躍した人で,李白が生まれて後,隊商の生活をやめて蜀(四川省)に定住し,そのとき「李」という姓を名のるようになったのであるが,前姓は何であったかわからないとされている。「李」は,唐の王朝の姓で,当時最も有名な姓であった。李白の父は李姓を名のって以後,土地の人から「李客」と呼ばれたということだけが知られているが,「李客」とは,お客さんの李さんということで,名前ではない。李白は,郭沫若の『李白と杜甫』では,條支国砕葉(さいよう),今のソ連領中央アジアで生まれたのであろうとする。李白の父が四川省の彰明県青蓮郷に定住するようになったのは,李白が4〜5歳のときのことであろうとされている。

 李白は科挙(官吏採用試験)に受験する志をもたず,若いころは道士たちとつきあって道士修行にはげんでいた。玄宗は道教を国教としたので,当時道士の位置はかなり高かった。李白が科挙の受験を志さなかったのは,その出生が商人の息子であったので,受験資格がなかったらしい。24〜25歳のころ,蜀を離れて中原の地に出る。李白の生涯においてはっきりしているのは,42歳のとき,道士ゴイン※注1※の推薦で玄宗翰林供奉に任官したこと。44歳のときその官を辞任して,杜甫・高適とともに旅に出たこと。翌年二人と別れ,45〜46歳のころ,正式に道ロク※注2※(道士の証明書)を得て道士となったこと。56歳のとき,安禄山のさなか,反乱軍を討伐するために江南で兵を挙げた永王リン※注3※(玄宗の第16子)の幕府に参加したこと。しかし永王リン※注3※の軍が粛宗によって反軍とみなされて討伐され,57歳のときに李白も捕えられて潯陽(じんよう,江西省)の獄につながれ,59歳のとき夜郎(貴州省)に流されることになって,三峡のあたりまでいたったとき,恩赦にあって自由の身になることができた,などの数項に限られる。

 李白は生涯をかけて,中国の各地を実によく歩いており,それぞれの土地において,たくさんの詩をつくっている。旅の詩人というととかく杜甫がとりあげられるが,李白の足跡は杜甫の足跡とは比較にならぬほど全中国を縦横に行動している。そして自由の身として,スケールの大きいみごとな詩をうたいつづけたのであった。そうした点では,李白が尊崇した孟浩然の影響が考えられる。李白は,酒を愛し,山を愛し,月を愛した。そうした好みは,道士の世界にあこがれをもったことから生まれているかもしれない。李白は「詩仙」といわれたように,まさしく詩中の仙人であり,また「酒仙」でもあった。きまじめな儒学の教養のみをたいせつにした杜甫は,とらえにくいスケールをもつ李白から強烈な刺激を受けたようで,放浪の身となってからの杜甫は,しばしば李白を思いおこして李白をしのび,また李白のスケールの大きい詩句を活用するのであった。

〔参考文献〕鈴木修次「李白論」『唐代詩人論』第2冊,1979,講談社

小尾郊一『李白』中国の詩人[6],1983,集英社

松捕友久『李白−詩と心象』1984,社会批評社

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