●リトヴィノフ
AD1876
1876〜1951 ソ連の政治家・外交官。ユダヤ人家庭に生まれ,1898年社会民主労働党に入党,一貫してレーニン派に属し,ボルシェヴィキ派。1907年ロンドンに亡命し,国際的に活動する。革命後は外交官として活躍し,1930年に外務人民委員。1939年独ソ不可侵条約成立で辞職。革命後,干渉戦争によって疲弊したソ連は,国内再建のために対外的平和を不可避としていた。この間にソ連の対外政策の基本となったのは,チチェーリンによって推進されたドイツとの連携策であったが,ドイツの再建=右傾化は,ソ連に新たな対外政策への転換を要求した。チチェーリンの後を襲ったリトヴィノフは,ロカルノ条約によるドイツ西方の安定化に対して,東方ロカルノ構想を提唱,国際連盟への参加・一連の善隣外交・フランスへの接近などによる集団安全保障体制を呼びかけて,反ファシズムの国際的人民戦線を目ざしたが果たせず,ソ連のドイツ再接近により,彼の基本構想は挫折に終わった。〔参考文献〕北島平一郎『現代外交史』1979,創元社