●律令格式(ヴェトナム) りつりょうきゃくしき
アジア ベトナム社会主義共和国 AD
『後漢書』馬援伝によると,紀元1世紀,ヴェトナム社会に「越律」と称される固有法が存在したとあるが,その詳細はいっさい不明である。中国支配下のヴェトナム,すなわち北属時代には,中国諸王朝の律令による支配が行われたが,在地の人々を現実に規制したのは,むしろ固有法,法的慣行であり,いわゆる「生ける法」がヴェトナム人の社会で機能していたと推測される。ヴェトナムが中国の律令を摂取して自己の法典を編さんし始めたのは,中国より独立してからである。文献によれば,李朝のとき,1042年に『刑書』(3巻?)が編さんされたが,これには,唐律を踏襲しつつ時世に適応する条文が配列されていたらしい。これ以外に,李朝は「諸例」(1097)とか「律令」(1157)の若干条を制定したが,唐代のような格と式については,その文献上に記載がみられない。なお,吏員の試験に「刑律」などを課したこと(1077)が文献にも示されている。陳朝では,李朝よりも立法活動が盛んだったようで,2度にわたり法典が制定された。その1は1230年の『刑律』(1巻?)であり,その2は1341年の『刑書』(『刑律書』,1巻?)である。両書とも現存しないので,その内容はつまびらかではないが,おそらく唐・宋の律令,李朝の『刑書』を継承し,これらに随時,発布された律令や条例の類をも取り入れて編さんされたものであろう。このほか,陳朝はまた,「律令」「条例」(1226)・「諸例」(1325)を制定し,「刑律諸格」(1244)を定め,さらに『公文格式』(1299)を印行した。ここにみえる「格」が唐代の格にあたるのか,それとも宋代の賞格のような格に相当するのか,判然としないが,後者の可能性が強い。「公文格式」は公文書の書式をおもな内容とするものであったろう。ついで,胡漢蒼(ホーハントゥオン)も1401年に「刑律」を定めたと伝えられるが,なんといっても律令,条例ならびに式などを数多く発布し,それらを今日に伝えたのは黎朝である。黎朝の立法活動は,まず順天年間(1428〜33)の律令の制定から始まり,ついで洪徳年間(1470〜97)に条例類を制定する形で展開したといわれる。すなわち,早くも1428年に『詞訟律令』が議定され,1430年に『例律』が頒布され,洪徳年間にも『刑律』が刪定され,この『刑律』(洪徳原律とも称される)が18世紀後半(1767?)に刊行された『国朝条律』(6巻)の原拠となった。一方,大宝年間(1440〜42)にはグェンチャイが『律書』(6巻)を編したとも伝えられる。現在,黎朝の律令を研究するための基本法典として,『国朝刑律』(6巻,722条,木版)・『黎朝刑律』(6巻,721条,写本)と題する刑書が存在し,『歴朝憲章類誌』刑律誌にも526の条文が収められている。『国朝刑律』および『黎朝刑律』は,前出『国朝条律』とほぼ同内容の書と注目されるが,全体を名例・衛禁・違制・軍政・戸婚・田産・始増田産・姦通・盗賊・闘訟・許偽・雑律・捕亡・断獄の各章に分け,始増田産章の次に香火(フォンホア)令を挿入し,『唐律疏議』にならいながらも独自の諸条文を数多く配列した。刑罰としては,笞・杖・徒・流・死の5刑が中心だが,これと同等の重みをもつ貶爵(爵位の下貶)が多用された。徒刑ではその種別と不定期が注目される。罰銭・償命銭・謝銭・倍贓(盗犯などへの賠償)などの多彩な賠償金が実刑などと併科される仕組みにもなっていた。この法典をとおして,ヴェトナムの家産が父母専有制であったこと,夫婦各自の資産が認められたこと,家産相続においては,遺産の20分の1を香火用(祖先の祭祀用)として控除し,残りをすべての子女に均等分割したこと,女性の法的地位が比較的高かったことが認められ,社(サー,村落)や公田(コンディエン)の諸制度をうかがい知ることができる。律の運用のため,またその細則として条例が発布されたが,これに関しては,訴訟手続などを収めた『勘訟条例』(『詞訟条例』)・『景興条律』などの書がある。そのほか,『天南余暇集』条律・『洪徳善政』『故黎律例』には律や条例の類がかなり収録され,『国朝詔令善政』『黎朝会典』には令が,『国朝洪徳年間例諸供体式』には文書式などが収められている。阮(グェン)朝も1812年に『皇越律令』(22巻,398条)を制定し,19世紀半ばには律令を含む『大南会典事例』(全264巻)を編集した。これらは,法典としての体裁と構成において洗練されてはいるが,その内容はほとんど清代の法典の直写に近く,また新味も乏しいうえ,伝統と慣習に合致しない規定もあり,これらの法典からヴェトナムの固有法・法意識をみつけるのは容易ではない。
〔参考文献〕仁井田陞『中国法制史研究 刑法』1959,補訂1980,東京大学出版会
山本達郎「国朝刑律にみえる貶爵」『瀧川政次郎博士米寿記念論集 律令制の諸問題』1984