●立正佼成会 りっしょうこうせいかい
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法華経系の新宗教。1938年(昭和13),霊友会新井支部の幹部だった庭野日敬(にわのにっきょう)・長沼妙佼(ながぬまみょうこう)が霊友会を脱会して設立した大日本立正交成会に始まる。30人ばかりでの出発だったが,戦後の1960年ごろから飛躍して霊友会をしのぐ巨大教団に成長,今日では創価学会と並ぶわが国新宗教界の中核的存在となっている。殊に,世界宗教者平和会議などの国際的な宗教協力活動,国内では平和憲法を支持,諸団体と共に「明るい社会づくり運動」を展開,その積極的な社会的活動で知られる。庭野会長は,新潟県十日町の農家の出。地元の小学校を終え,1923年(大正12),数え18歳のとき東京へ出て,炭屋・漬物店などに奉公,1931年(昭和6)独立して漬物屋を開業。しかし1934年(昭和9),二女の病気をきっかけに霊友会の東京新井支部の法華経学者新井助信に師事。こうして法華経にめぐりあう。
一方,妙佼は埼玉県北埼玉の出。家が父の代に没落,小学校を出て東京で女中奉公,また女工員として働いた。庭野と出会った1936年(昭和11)には,2度目の結婚をして渋谷区幡ケ谷で夏は氷屋,冬は焼きイモ屋をしていた。当時は,妙佼は一人っ子を失ったうえ,妙佼自身病弱で慢性の子宮内膜炎で苦しんでいた。庭野の導きで入信し,ここに庭野と妙佼とのコンビが誕生,やがて協力して新教団をつくることになる。
教義は,当初は実践第一,霊友会から引き継いだ法華経信仰および先祖供養,これに霊能力を身につけた妙佼の霊的指導,庭野が習得していた易,姓名判断を加えた行法で教団の基礎を固めた。しかし1957年(昭和32)妙佼が死去。庭野は翌1958年(昭和33)正月,“霊能時代”との訣別を意味する「真実顕現」の時代を宣言,新しい本尊を定めるとすると共に,法華経を中心に教学と組織を再編成し,新たな出発をする。
〈真に,そして恒久的に,心のよりどころとするにたるものは何か。それは久遠実成の仏である。宇宙根源の大生命である。…それゆえ,私は,33年1月5日の『佼成新聞』に久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊こそ本会の本尊であると宣言し,いわゆる真実顕現の第一声としたのであった〉(『庭野日敬自伝』)
時代はちょうど高度経済成長期にさしかかっており,都市人口は急激にふくれ上がっていた。この後の,会員数の推移を見ると,昭和35年141万5,663人,40年204万2,590人,45年442万3,984人。5年ごとに倍増,一挙に巨大教団のトップグループ入りした。
こうして指導体制を固めた庭野は,PL 教団・妙智会などと結成していた新宗連(新日本宗教団体連合会)を足場に対外活動を積極化する。1970年(昭和45),京都に世界36カ国の代表的な宗教者を集め第1回世界宗教者平和会議が開かれたが,実質的に新宗連理事長であると共に日本宗教連盟理事長でもあった庭野の主宰する国際会議であった。その後4年ごとにベルギーで第2回世界会議,ニューヨークで第3回会議,ケニアで第4回会議を開催した。いずれも,わが国の仏教・神道・キリスト教,それに大小新宗教もこぞって参加,立正佼成会はこの1970〜80年代を通じてわが国宗教界のカナメ的存在にのし上がった。
高齢の庭野の後継者は,手まわしよくいずれ長男庭野日鉱が2代会長に就任することに決まっている。
〈教団本部〉東京都杉並区和田2-11-1
〈本尊〉久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊
〈教典〉法華三部経
〈教勢〉教会・布教所623,教師1万4,510人,信者539万5,944人(『宗教年鑑』昭和57年版による)
〔参考文献〕庭野日敬『庭野日敬自伝』1976,佼成出版社
佼成出版社編『慈悲の生涯−長沼妙佼伝』1958,佼成出版社
立正佼成会教典飜訳委員会編『立正佼成会』1965,立正佼成会