●立志社 りっししゃ
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土佐高知を中心とする士族授産結社,のち自由民権結社となる。1874年(明治7)4月士族を中心につくられた。その中心に片岡健吉らがいた。板垣退助をかつぐ,そのもとは海南義社を基盤にしたものである。片岡健吉が1877年6月,代表となると,国会開設の集約書を出し,愛国社・国会開設期成同盟へと発展させその中核的組織を形成した。幹部には板垣・片岡のほかに植木枝盛・坂本南海男らがいた。彼らは1881年の自由党結成を主導しており,同年つくられた「日本憲法見込案」のなかに人民主権と一院制議会の採用を求めている。私擬憲法案のなかでも革命的要素の色濃い草案の一つであった。しかし自由民権の急激左傾化は,自由党主流を構成していた立志社グループを離脱させることとなっている。たとえば片岡健吉は1881年,立志社社長をやめ,高知新聞社長となり,1882年海南自由党をつくり,自由党解散ののちにはキリスト教に近づいている人もいる。
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