●立憲政体樹立の詔 りっけんせいたいじゅりつのみことのり
アジア 日本 AD1875 明治時代
1875年(明治8)3月8日,木戸が,12日には板垣退助が参議に就任し,同月17日には木戸・大久保・板垣・伊藤の4参議が立憲政体の取調を命ぜられ,4月10日に詔を発布している。元老院・大審院を創設し,地方官会議を召集し,さらに漸次立憲政体を採用すると述べ,従来の左・右両院を廃止,元老院は立法機関とし,地方官会議を民情反映機関として設置し,それぞれを上下院に擬している。この改革は三条を中心とする大久保・板垣・伊藤であり,改革反対は岩倉であり,島津久光であった。元老院議会をめぐる人選で,板垣と木戸とが対立し,板垣が佐々木高行・松岡時敏らを拒否,副島・後藤を推薦,岩倉・島津らは井上馨・後藤・由利・陸奥・加藤弘之に反対してはじめから波乱含みであったが,やっと妥協が成立して実施にふみきった。木戸には立志社系の意志が反映していたともいわれる。その点で明治8年の政体変革は一つの画期とみることができる。