●立憲同志会 りっけんどうしかい
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大正初期の政党。憲政会の前身。犬養毅・尾崎行雄らの憲政擁護運動を新政党組織によって切り崩そうとした桂太郎は1913年(大正2)1月20日新党結成を声明し,大浦兼武率いる中央倶楽部,大石正巳・河野広中・島田三郎らの立憲国民党改革派,後藤新平・若槻礼次郎ら桂系官僚派が参加,2月7日立憲同志会宣言を発表し発足した。しかし立憲政友会からの参加は少なく,桂内閣は2月11日総辞職,桂自身も10月10日病死した。以後,加藤高明が常務委員長となって結党準備がなされたが,桂系の後藤・仲小路廉らが脱党,結局12月23日加藤を総理,大浦・大石・河野を総務として結党式がなされた。第一次山本権兵衛内閣をシーメンス事件で攻撃,つづく第二次大隈重信内閣の与党として加藤外相・大浦内相・若槻蔵相を出し,1915年総選挙で第一党に躍進したが大浦内相の選挙干渉事件をおこし,翌16年6月大隈内閣−与党間の合同運動のなかで,10月10日尾崎行雄らの中正会・大隈系の公友倶楽部と合同して憲政会を結党,寺内正毅内閣の野党として,政友会と並ぶ2大政党の一つとしての基礎を確立した。