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●立憲帝政党 りっけんていせいとう

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 自由民権運動期の政府党。自由党・立憲改進党に対抗して,東京日日新聞社長福地源一郎・明治日報創刊者丸山作楽・東洋新報社長水野寅次郎らが,伊藤博文・井上馨・山田顕義ら長州系政治家の発意後援や谷干城・佐々木高行らの支持のもとに,1882年(明治15)3月18日結成した。『古事記』『日本書紀』を証典として,君主主権・君主大権・欽定憲法・両局議院や財産による制限選挙を政治綱領に掲げ,旧士族・吏員・神官・僧侶・地主・御用商人ら体制擁護派の支持を得たが,組織力は弱く,「東京日日新聞」「明治日報」を機関紙として藩閥政府を謳歌し反対党を攻撃した。しかし政府が大日本帝国憲法の起草準備を進める段階で政党からの超然的態度をとるに至ると,民党に対する政党としての政治的存在理由はなくなり,政府とりわけ伊藤博文の意向のもとに,1883年9月24日解党を宣言し解消した。

〔参考文献〕村川一郎『日本保守党小史』1978,教育社