●立憲自由党 りっけんじゆうとう
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自由民権運動期に誕生した日本最初の全国政党。1880年(明治13)国会期成同盟大会で植木枝盛らにより結成の動きが生まれ,翌年の明治14年の政変を契機として,国会開設の詔勅が出た直後の1881年(明治14)10月29日に,国会期成同盟を中心に結党された。役員は,総理板垣退助,副総理中島信行,常議員後藤象二郎・馬場辰猪・末広重恭・竹内綱で,盟約3章と規則15章が定められた。第1章〈吾党は自由を拡充し権利を保全し幸福を増進し社会の改良を図るべし〉にみるごとく,自由の拡充などを目的に,立憲政体の確立を目標に結成,フランス流急進主義・人民主権説の立場をとり,士族・豪農層を支持基盤とした。1882年(明治15年)6月機関紙「自由新聞」発刊,演説や地方遊説で党勢を拡大したが,政府のとった集会条例改正,福島・高田事件での弾圧策や板垣・後藤の外遊といった懐柔策で党勢は弱まり,新たに民権派の立憲改進党との対立が生まれた。さらに松方財政下のデフレ政策により,支持基盤である士族や中小農民が離脱し,一方で急進的党員と貧農らによって1884年(明治17年)群馬・加波山事件がおこると,党内分裂は顕著となった。こうした状況のなかで自民党首脳は,政府の弾圧・地方党員離脱・激化事件多発といった問題の解決策を見出せずに,同年10月29日解党宣言を出し,ここに立憲自由党は解消した。〔参考文献〕村川一郎『日本保守党小史』1978,教育社