●李世民 りせいみん
アジア 中華人民共和国 AD589 南北朝時代
589〜649(開皇18〜貞観23)中国,唐第2代の皇帝。在位626〜649(貞観1〜22)。唐の建国者李淵(高祖)の次男。4歳のとき,〈成人して必ず世を済(すく)い民を安らかにする〉との予言によって世民と名づけられた。若いころから智謀にたけ,決断力に富む。隋末の政治的混乱に乗じて,優柔不断な父に挙兵を決意させ,唐建国後の体制づくりに重要な役割を果たした。ために兄李建成・弟李元吉らにねたまれたが,機先を制して626年(武徳9),長安宮城の北門(玄武門)で二人を殺害した。世にいう「玄武門の変」である。このとき,父を監禁して皇帝に即位。翌年,年号を貞観(じょうかん)とした。貞観2年,「朔方(さくぼう)」(陝西省横山)の梁師都(りょうしと)討伐を最後に唐に抵抗するものを完全に一掃した。630年(貞観4)には強敵突厥(とっけつ)を屈服させたのを手はじめに,北辺から西域にいたる広大な領域に支配を拡大し,征服地には異民族統治のための羈縻(きび)政策を実施した。国内では人事の公正・刑罰の軽減・官制の整備などに心がけ,「全国戸締りの必要はなく,旅行者は食糧の携帯も必要としない」平和で豊かな時代を実現したとされた。こうした政治を「貞観の治(ち)」と称し,後世の人々は太平の世の模範とした。しかし朝鮮半島の高句麗への3回の遠征(いずれも失敗)は,そのために徴発された農民や少数民族にとってたえ難い負担となり,ときには反乱の原因をつくり出し,太宗の政治的汚点として残された。太宗は長安の東,驪山(れいざん)温泉にある翠微(すいび)宮で病気療養中に死去した。53歳であった。
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