●リスト,G.
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1789 ハプスブルク朝
1789〜1846 ドイツの経済学者。歴史学派経済学の先駆者。ロイトリンゲンの皮なめし工の子。独学で官吏試験合格,領邦官吏のかたわらチュービンゲン大学に学ぶ。近代的官僚として有能,自国ヴュルテンベルクの新憲法擁護などにも活躍。1817年同国の大学教授。ドイツの経済的統一を主張し連邦内関税廃止・保護関税設定の政治運動展開。このことは新興資本家層の代理者と目され,彼の個性とも相まって官職罷免・圧迫のなかで渡米(1825)。アメリカでも保護政策をとなえて好評。市民権を得(1832),駐独領事として帰国。その後もドイツ統一保護政策・鉄道建設運動・中農保護などを主張しつづける。彼は経済学に“国民”の観点を導入し,また経済は厚生よりも生産力の発展を基準とし,幼稚段階の産業に対する育成的保護主義を強調した。歴史学派経済学は彼の路線上に,人間の経済活動には営利を超えた諸動機の存在をも考慮すべしと主張。先進イギリスの自由主義経済学に対し,経済的後進国の進展をはかる国民経済学を確立。彼の主張のなかには反英的=大陸同盟的立場があり,のち反仏的=英独同盟的立場なども発見されるが,頼りにしていたプロイセンからも見放され,失意のなか,ピストル自殺。帝国統一直前の小領邦出身政治家の悲劇の運命であったといえよう。主著は『政治経済学の国民的体系』(1841)。