●梨園 りえん
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唐の玄宗が創設した楽制。のち明清時代に劇壇を梨園と称し,転じて近世日本の芝居,殊に歌舞伎劇壇を梨園と華称する。唐代には中国伝統の音楽と流伝した胡楽(西域の音楽)が融合して新俗楽を生じたが,その一部は玄宗によって法曲と名づけられた。玄宗は北禁苑の梨樹の園に音楽教習所を設け,太常寺坐伎部の楽工300人をもって親しく法曲を教え,一声でも誤るものがあると必ず覚って正したという。のち左右教坊の妓女・掖庭宮の宮女などが加えられ,その教場は宜春北院にあった。これらを皇帝梨園弟子と称す。その他15歳以下の小児も数十人いて,小児音声・梨園小児などと称した。また,梨園内の本院のほかに太常寺内に別教院があった。彼らはつねに音楽を教習し,楽人を養成するほか,ときに応じて出張して宴会の余興に供せられ,絢爛たる宮廷貴族の音楽を築いたのである,安史の乱でいったん荒廃したが,のち再興され838年(開成3)法曲を仙韶曲と改め,梨園は仙韶院となったが,唐一代で廃止された。