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●リアリズム

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 一般的には現実主義と訳され,主観的・観念的なものよりも客観的・現実的なものを重視する立場をさすが,何を客観的とし,何を現実とみるかによって解釈は微妙に異なってくる。したがって,一口にリアリズムといっても,政治・文芸・哲学とそれぞれの分野において独自の意味づけがなされており,また歴史的に流行した時期も異なっているのである。

【政治的リアリズム】実際の政治への取り組みにおいて,個人的な理念やイデオロギーにとらわれず,目標達成のため現実的に対処する傾向を,政治的リアリズムと称する。19世紀後半のヨーロッパを代表する政治家に,ドイツのビスマルクがいるが,彼の冷厳なまでの現実主義政治は,当時すでに“レアル=ポリティーク”と称されていた。その背景には,ドイツの置かれていた現実的状況,とりわけ国家的統一と統一後の平和維持という課題があったことは確かだが,同時に,フランスのコントが打ち立てた実証主義哲学の思想的影響があったことも無視することはできない。コントは『実証哲学講義』6巻(1830〜42)を著して実証主義哲学を確立するとともに,政治を哲学的思弁の世界から解放し,実証的な方法を用いて科学的に基礎づけようとしたのである。その精神は,1848年の二月革命以後急速にひろまり,ビスマルクだけでなく,イタリアのカブールやフランスのナポレオン3世の政策にも大きな影響を与え,政治的リアリズムの高揚期を出現させたのである。

【写実主義】19世紀半ばのヨーロッパで,それまで支配的であったロマン主義に対抗して生まれた文芸上のリアリズムを,ふつう写実主義と称している。当時のヨーロッパは,産業革命以後の物質文明と自然科学の著しい進歩により,資本主義社会が成熟の度を強めつつある反面で,社会問題や労働問題が深刻化しつつあった。そこで,人々は夢や空想よりも現実を注視し,社会や人間をありのままに描こうとし始めたのである。その傾向はフランスで生まれ,しだいにほかの国々にもひろまった。まず文学の分野では,スタンダールの『赤と黒』(1830)・バルザックの『人間喜劇』(1842〜46)以来,ロマン的な性格をもつ作家でも写実的傾向が強くなっていたが,フロベールが『ボヴァリー夫人』(1857)において,理想と現実の相剋に悩む女性の姿を描き,写実主義文学を確立したといわれる。やがて,ゴンクール兄弟は記録小説風の文体でゾラに影響を与え,写実主義は自然主義へと移行することになる。フランス以外では,市民社会が早くから成立したイギリスで写実主義が発達し,『虚栄の市』(1848)を著したサッカレーや,『二都物語』(1859)などのディケンズがよく知られている。また美術の分野では,ドーミエやミレーが庶民生活を題材にし,鋭い社会観察によって現実を描いたが,クールベは当時のアカデミズムの画風に反抗して,あくまでも写実に徹した。それは,「石割り人夫」(1849)・「オルナンの埋葬」(1850)といった作品にみることができる。彼らの作風は,やがてマネやモネらに受け継がれ,軽快で明るい色調を特色とする印象主義へと移行するのである。

実在論】哲学用語としてのリアリズムは実在論と訳される。これは中世ヨーロッパのスコラ哲学の一理論であり,唯名論(名目論)とのあいだに普遍概念の存在をめぐって,いわゆる普遍論争をくりひろげた。神や普遍といった概念は,個々の事物に先行して存在するとしたところから実念論(概念実在論)ともいわれる。実在論を主張する思想家として,11世紀を代表するのが,カンタベリ大司教アンセルムスである。彼は〈理解せんがために信ずる〉として,理性に対する信仰の優位を説くとともに,〈神はその非存在を考えることのできぬもの〉として,神の実在性と必然性を強調した。これに対し唯名論では,真に実在するものは個々の事物であり,普遍概念は個物から抽象された単なる名目にすぎないと主張する。その代表的思想家として,11世紀フランスのアベラールをあげることができる。やがて,13世紀のトマス=アクィナスは,アリストテレス主義の導入で両者の総合をはかったが,時代とともに唯名論が優勢となり,14世紀イギリスのオッカムの出現によって,信仰と理性,神学と哲学の分離が始まり,近代経験論への道が開かれるのである。唯名論イギリス経験論につながったのに対し,実在論は大陸合理論を導いたと考えることもできる。一般命題から個々の具体的な問題を説明しようとする実在論の思考様式は,一般命題を神や普遍概念に求めることなく,理性に求めるとすれば,それは演繹的推論の成立を意味し,合理主義の方法論となるからである。