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●蘭学 らんがく

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 江戸時代,オランダ語を介して学びとられた西欧の学問・技術および海外事情に関する知識とその研究をさす総称。

【史的背景】日蘭両国の文化交流は,1600年(慶長5)のオランダ船リーフデ号の豊後漂着が契機となり,1609年平戸に連合オランダ東インド会社の商館が設立されて行われた貿易に伴って始まった。ついでオランダ商館が長崎の出島に移され,鎖国体制が完成すると,海外情報の入手ならびに西欧の文化,とくに学問・技術に関する知識の輸入はもっぱらオランダ船の定期的来航に依存することになった。

【発達経過】オランダ人から西欧の文化を学びとるには,出島に出入りし,通弁・翻訳事務と日蘭貿易事務にたずさわったオランダ通詞がもっとも機会に恵まれていた。通詞によってオランダ語の習得が行われ,やがて中野柳圃(志筑忠雄)や馬場貞由らによって体系的に理解されていった。また通詞のなかから,西玄甫・吉雄耕牛らのようにオランダ流医術・医学を兼修し,本木仁太夫・志筑忠雄などのように西洋天文学を学ぶ者が出た。

 中央においては,まず新井白石において,イタリアの宣教師シドッチ尋問を通じて,キリスト教と西洋諸科学との識別・認識が行われ,形而下の学として西洋諸科学受容の眼が開かれた。ついで,8代将軍徳川吉宗がキリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入を緩和し,またオランダ商館長の江戸参府一行,とりわけ随行のオランダ通詞についてオランダ語の修得を青木昆陽野呂元丈に命ずるなど強い関心を示した。

 学者による蘭学の本格的研究は,前野良沢杉田玄白中川淳庵桂川甫周らによるオランダ語の解剖書『ターヘル=アナトミア』の翻訳に始まった。1774年(安永3),その成果『解体新書』が公刊されると,これが刺激となって医学・本草学系統の学問の発達をうながした。幕府における改暦事業は西洋天文学の受容をうながすこととなった。杉田・前野に従学し,さらに長崎遊学で本木仁太夫・吉雄耕牛ら通詞に学んだ大槻玄沢は蘭学の入門書『蘭学階梯』を著して,オランダ語文法の学習法を示し,江戸に芝蘭堂塾を開いて多くの蘭学者を養成した。その門人たちは諸分野を専門とし,京坂地方をはじめ全国に及んで普及に尽くした。やがて,下級武士や町人のなかから蘭学の研究に従事する者も出て,合理的・批判的精神の高揚もみたが,幕府の弾圧によって,シーボルト事件蛮社の獄などがおこった。北方の警衛問題に端を発し,異国船の応接や海外事情の把握にせまられた幕府は,1811年(文化8)江戸の天文台に蛮書和解御用の新局を設けて(1)異国船の応接,(2)外交文書・海外地理書・地図などの翻訳・取調べ,(3)ショメールの百科事典の翻訳を開始するなど,蘭学の必要を認めてようやく積極的に対処するようになった。アヘン戦争の情報がもたらされて以後,対外関係が緊迫してくると,幕府・諸藩ともに海防と財政建直しの必要から,西洋兵学・産業技術の輸入とその伝習をはかった。しかし,儒学を封建教学とする人々にとって,西洋の社会科学や精神科学の受容は一部の例外を除いてほど遠いものであった。それでも,幕末になると,ヨーロッパ諸国の接近,ついで開国によって,オランダを通じての蘭学のみではなく,英・仏・露・独などの学問分野にも必要範囲が拡大してゆき,蘭学というよりは洋学と呼ぶほうがよりふさわしい様相を呈するようになった。そして,幕末の蘭学者の多くは維新後も修得した西洋知識・科学技術をもって官界,民間ともに貢献する点が大きく,近代化促進の力となった。

【内容分野】(1)オランダ語学およびオランダ語を媒介にしたヨーロッパ語学。(2)医学・本草学系統の学問(動物・植物・博物・薬学,物理・化学等を含む)。(3)天文学・地理学系統の学問(測量,航海学,数学等を含む)。(4)兵学系統の学問。(5)風俗・美術系統の学問。(6)文学・思想系統の学問(歴史・哲学等の人文科学,経済・法律等の社会科学を含む)。