●ラージンの反乱 ラージンのはんらん
NIS諸国 ロシア連邦 AD1670 ロシア帝国
1670〜1671年,ドン=カザークの頭目ステンカ(ステパン)=ティモフェヴィチ=ラージン(?〜1671)に率いられたロシアの農民反乱。1667年,ラージンはドン=カザークの下層を率いヤイクに出撃,1668年春カスピ海に出て翌年にかけてペルシア海軍を破り,カスピ海沿岸諸都市を荒掠,いったんドン川地方に帰ったが,1670年数千のカザークを率いアストラハンを占領,モスクワめざしてヴォルガ川をさかのぼった。このさい1649年の『法典』にもとづく農奴制の強化と重税に苦しめられていた農民,ヴォルガ川流域の異民族モルドヴァ人・チュヴァシ人・バシキール人が加わり,農民戦争に発展した。しかし,反乱軍は1670年10月,新式の政府軍によりシンビルスク包囲に失敗,ラージンも負傷しドンに逃れたが,1671年4月捕えられ,6月モスクワで四つ裂きの刑に処せられた。政府軍は同年末アストラハンを占領,反乱を鎮定した。