●洛陽伽藍記 らくようがらんき
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5巻。東魏,楊衒之の撰。自序および巻末の記録によると,洛陽の寺は西晋の末,永嘉年間(308〜313)にはわずかに42カ寺に過ぎなかったが,北魏孝文帝の洛陽遷都後,京城の内外に1367カ寺を数えるまでになった。しかし北魏末の兵乱に多くは焼失し,洛陽は城郭宮殿も崩れ去って鳥獣の棲む廃墟にも似た惨状を呈し,北魏分裂後,そこに残された寺院は421に過ぎなかった。東魏の武定5年(547),洛陽を再訪した楊衒之が,往年の仏教隆盛のさまを後世に伝えたいと考えて編述したものが本書である。城内・城東・城南・城西・城北の順にそれぞれ1巻を配して大伽藍の由来を述ベ,あわせて北魏末の政治動向や地理・風俗等を記録し,洛陽を中心とする当時の社会の状況を知る好個の史料となっている。また第5巻には,霊太后の命により西域・インドに使いした宋雲・恵生の旅行記録(『宋雲行記』)が詳しく紹介されている。