●楽浪郡 らくろうぐん
アジア 中華人民共和国 BC108
前漢の武帝が前108年(元封3)に朝鮮半島西部にあった衛氏朝鮮を攻め滅ぼし、その地に設けたのが楽浪郡(郡治は現平壌の付近)である。これと同時に、この郡に隣接して置かれたのが真番・臨屯・玄菟の3郡(玄菟は1年おくれる)である。その後、前82年(始元5)には真番・臨屯が廃止され、臨屯郡北部の7県は楽浪郡に併合された。『漢書』地理志には楽浪郡は25県で、その戸数は6万2,812戸、口数は40万6,748人とあるが、これは前漢末の前2年(元寿1)の調査記録にもとづいたものとみられる。この郡の最盛期は前漢時代で、後漢以後は郡の支配地域が縮小するが、2世紀末に遼東地方に公孫氏が雄拠するや、その支配下に入った。しかし郡の南部が荒廃していたので3世紀初めに公孫康が、この地に帯方郡を置いて発展につとめた。こののち楽浪・帯方の2郡は238年(景初2)からは公孫氏を滅ぼした魏が、265年(泰始1)からは魏に代わった西晋に継承されたが衰退の一途をたどり、楽浪郡は313年(建興1)に北の高句麗によって滅ぼされた。