●落語 らくご
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江戸時代に京都・大坂・江戸の三都におこり,とくに後期には寄席を中心に発達した民衆の話し言葉による芸。戦後は「話芸」と呼ばれるようになり,講談・漫才・浪曲など広義に用いられるようになったが,落語は江戸話芸の代表といえよう。【定義・起原】一つの筋を持つ話に「おち」(「さげ」)をもつ笑話。『風土記』や『古事記』など古代の地名伝承や,『竹取物語』などにも同種の説話が収められており,その起原は人類の歴史とともに,言語遊戯の形で発達してきたが,とくに民衆による都市生活が活発となる近世の初頭に京都誓願寺の安楽庵策伝によって集大成された『醒睡笑』は,同時期に編纂された『昨日は今日の物語』『戯言養気集』と並ぶ笑話集の筆頭に挙げられ,彼は,自分の説教による布教活動の中に笑話(ワライバナシ)を活用し大いに効果をあげ,晩年誓願寺内に庵を結び,長年の布教活動で収集した笑話を,ときの京都所司代板倉重宗に献呈するために編集したものが同書である。そこで策伝は落語家の祖とされているが,のちに寄席などで料金(木戸銭)を取って興行された場合の落語家とは本質的に異なっていた。
【元禄期の落語】民衆の都市生活が娯楽を日常的なものとして求めるようになる元禄期に,京・坂・江戸の三都に,それぞれ露五郎兵衛・米沢彦八・鹿野武左衛門の3人が登場して,人気を集めたが,辻ばなしや座敷ばなしというかたちで,木戸銭をとる寄席の落語ではなかった。1690年(元禄3)の『増補江戸惣鹿子名所大全』の巻の6の「問屋大概」の末尾に〈一しかた咄 長谷川町 鹿野武左衛門・横山町三丁目 休慶・中ばし きやら小左衛門・四郎斎〉とあり,落語は,しかた咄と呼ばれて江戸名物の中に登録されていた。1686年(貞享3)に鹿野武左衛門の咄本『鹿の巻筆』が刊行されたが,1693年(元禄6)その巻3に収められた「堺町馬のかほみせ」という話にヒントを得た八百屋が,一浪人と結託して,馬が疫病の妙薬をいいあてた旨を小冊子にして刊行し,そのため江戸ではその妙薬の原料とされた南天の実と梅干が20倍に暴騰し,パニック状態におちいった。このため,翌年武左衛門も罪に問われて伊豆大島へ流罪となり,6年後赦免されて江戸へ帰り,まもなく死亡した。この筆禍事件は,1687年(貞享4)に刊行された石川流宣の咄本『正直咄大鑑』巻4「第十はなしの仕様」に〈それはなしハ,壱がおち,弐が弁舌,三がしかた〉という定義をしているのとあわせて考えると,元禄期の江戸の落語は,かなり盛んだったと考えられる。
【安永・天明期の落語】その後,上方では安永ごろまで彦八の名跡が継がれていたが,これも4代で絶え,一方江戸では豆蔵と呼ばれる無名の芸人たちによってわずかにその芸は伝えられていたらしいが,史料的には明確ではない。江戸では,1772年(明和9)に,木室卯雲の『鹿子餅』・小松百亀の『聞上手』・稲穂の『楽牽頭』が相ついで刊行され,江戸小咄本流行の口火を切り,江戸小咄は全盛期に入る。宝暦ごろにできあがったといわれる江戸言葉の会話体をとり入れた江戸小咄の誕生である。咄本は読む笑話本であるが,一人の作者がすべての小咄を創作するのではなく,川柳のように小咄作者の作品を募集し,佳作を選んで1冊の小咄本にしたと考えられている。上方の場合は,投稿者の発表が催されて,行司がいて,優秀作品に賞品を出す「会咄」が行われ,その作品集が刊行されているが,江戸の安永初期の小咄本は,上方に先立って同様の催しがあったと推測されている。この「会咄」はやがて狂歌師による「宝合わせ」の会に合流して,1783年(天明3)の柳橋河内屋で行われた宝合わせの会席上で,烏亭焉馬が披露した『太平楽巻物』は,江戸落語の原型を作ることとなった。以後,焉馬は,1786年に初めての「咄の会」を催し,江戸落語は同好の士を集め,のちには職業的落語家もこれを催している。
【寄席の落語】焉馬の「咄の会」は料亭の広間で催される同好士の集まりだったが,小咄の口演=落語は,「咄の会所」と呼ばれる町内の咄愛好者の集会所などを通して一般に普及していった。1798年(寛政10)に大坂下りの岡本万作が神田豊島町で寄席を興行したのに刺激された山生亭花楽(のち三笑亭可楽)は,下谷柳の稲荷社内で寄席を開いたが成功せず,大坂でも同年初代桂文治が座摩社内で寄席を始めている。可楽は地方回りの修業ののち,1800年に江戸へ帰り,「咄の会」を催したりしているが,1804年(文化1)ごろから門人たちと寄席の落語活動を始め,職業的落語家が輩出するようになり,可楽のほか三遊亭円生・林屋正蔵らが出て,寄席も100軒を超えるにいたり,落語の数も,すでに1807年に新作・旧作あわせて650のレパートリーが一人の落語家のネタ帳に記されるにいたっている。その後,天保の改革で一時制限を受けたがいよいよ発展し,幕末から明治中期にかけては,三遊亭円朝の活躍などもあり,大正・昭和と時世の影響を受けながら,いつも民衆の芸能として,逞しくいきつづけ,今日にいたっている。
〔参考文献〕暉峻康隆『落語の年輪』1978,講談社
国文学編集部『落語のすべて』1973,学燈社
比留間尚「江戸の話芸」西山・竹内編『江戸三百年』2 所収,1975,講談社