●ラオス
アジア ラオス人民民主共和国 AD
ラオス人民民主共和国【国土・住民・産業】インドシナ半島のほぼ中央部に位置し,面積23万6,800平方km,メコン河が南北に細長い国土の西側を貫流し,北部ではルアンプラバーン,中部ではビエンチャン,南部ではサバンナケート・パクセーに小平野を形成している。ヴェトナムとは東側のチュオンソン山脈で隣接し,タイとはメコン河をはさんで隣接。北は中国・ビルマ,南はカンボジアに接する。推計人口約360万。人口の過半数を占めるラオ族が国名に使用されているが,国内に30以上の少数民族が主に山岳地帯に居住する。ラオ族はタイ国のタイ族と民族的にも言語的にも同一民族である。ラオ族はメコン河とその支流域の平野部で水田耕作を営み,タイ系の黒タイ・白タイ族は北部の高地に住み,陸稲(おかぼ)を栽培している。また近年,中国から移住してきた苗族・瑶族は,焼畑耕作によって陸稲やトウモロコシ,一部ではケシの栽培を行っている。主要産業は平野の米作を中心とする農業であり,住民はモチ米を主食とする。国土の60%が森林におおわれ林産業は有望であるが,国内に鉄道はなく,道路網も未整備のため,開発に大きな障害となっている。鉱業分野でも,金・銅・鉄・石灰・スズなどの埋蔵資源が知られているものの,ほとんどが未開発,工業も未発達で輸出品には見るべきものはなく,木材が輸出総額の3分の2を占める。ほかに電力をタイに輸出している。輸入は毎年数万トンの米をはじめ,あらゆるものを外国から輸入しなければならない。
【政治・外交】1353年から600年余り存続した王制は,1975年11月21日のシーサワーンワッタナー国王の廃位宣言,同年12月の全国人民代表大会で,ラオス人民革命党書記長カイソーン=ポムウィハーンを首相とする新内閣が発足して,立憲君主制から共和制へ移行し,ラオス人民革命党が全権を掌握した。また国民議会発足までの暫定機関として最高人民議会が設けられ,その議長にスパーヌウォンが任命された。彼はまた共和国大統領に就任した。最高人民議会が立法機関の役割を果たし,45名の議員は,3分の2はラオス人民革命党や1979年に設立されたラオス建国戦線のメンバーから成る。首相・大統領がヴェトナムのハノイで教育を受け,第二次世界大戦後の抗仏・独立闘争にもヴェトナムの協力を受け,1955年のインドシナ共産党からラオス人民党が分離独立後も,つねにヴェトナム義勇軍の支援を受けてきた。共和国誕生後はますますヴェトナムとの関係を強め,1976年2月には,ラオス・ヴェトナム両国が特別な関係を維持するという共同宣言,1977年7月にはラオス・ヴェトナム両国は25年間有効の国防面に及ぶ友好協力条約を締結した。新政府の各部署にはヴェトナム人顧問が配属されて,紐帯を強めている。ソ連やほかの社会主義国との友好関係は進んでいるが,隣国タイとの関係は体制の違いから冷却してしまい,国境紛争が絶えない。
【宗教・文化】ラオスには14世紀中ごろカンボジアを通じて南方上座部仏教が伝えられ,国王は仏教を擁護し,仏教は王制に正当性を付与するという伝統的関係が維持されてきた。1947年に制定されたラオス王国憲法では,仏教が国教と定められていた。1950年以降のラオス政界は,左派・中立派・右派に分かれ,内乱を繰り返していたが,仏教界は中立・平和を唱え,左派解放地区では社会主義革命に奉仕する僧侶のグループもあり,共和制移行後の社会主義体制下でも仏教界は社会主義体制に奉仕し,国家と国民の仕事を分担するものと位置づけられた。仏教の教えは国民の苦を除き幸福を導く役割を果たし,僧界は国民教育を援助する組織として,僧侶は活動し,寺院は共同社会のセンターとして機能している。
ラオスはながらくインド文化を受容し,タイ文字に近いインド系の文字を用い,タイ語と同系のラオス語のなかには,おびただしいインド系のサンスクリット=パーリ語を借用語として含む。古典文学・美術・舞踊はインド文化をタイやカンボジアを経由して受容してきた。
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