●ライプニッツ
ヨーロッパ ドイツ連邦共和国 AD1646 ハプスブルク朝
1646〜1716 ドイツの哲学者・数学者。父はライプチヒ大学の道徳哲学の教授。幼少時から天才的能力を発揮し,1666年ライプチヒ大学を卒業したとき書いた『結合法論』は普遍学の基礎となった。翌年マインツ選帝侯に仕え,パリ派遣の外交使節団に加わる。パリ滞在中に数学やデカルト哲学を研究,微積分学の定理を発見した。1676年帰国し,ハノーヴァー侯に仕えて図書館長・顧問官として家系史の編集にたずさわったが不成功に終わる。その間新・旧両教会の和解,ベルリン学士院の建設を企画した。哲学的業績としては,デカルト以来の独立した実体の概念に活動性の考えを導入して「単子モナド」説を展開し,神による予定調和の独創的な体系を確立した。『形而上学叙説』(1686)・『単子論』(1714)・『弁神論』(1710)などを著す。〔参考文献〕永井博『ライプニッツ』1958,勁草書房