●ライプチヒ論争 ライプチヒろんそう
AD1519
1519年6月27日から7月16日かけてインゴルシュタット大学教授ヨハン=エックとマルティン=ルターおよびカールシュタットとのあいだで行われた神学論争。1518年12月29日付の手紙で,エックは12カ条の論題についての論争を求めた。場所がライプチヒであったので,ザセソン選定侯反対。ルターの熱意で翻意。最初のカールシュタットとの論争はエックの雄弁と博識で勝利。7月4日からの論争で,ルターはエックの追求に答えて,(1)教会会議も間違うことがあり,事実間違っている,(2)コンスタンツ国会で異端とされたヨハン=フスの説のなかにも正しいものがある,(3)同じ国会で確認された教皇の首位性は間違いであると明確に主張して,改革への方向を明らかにした。公式記録はパリ大学・エルフルト大学に送られたが,両大学とも何の審判も行わなかった。エックの報告を受けたローマ教皇庁はルターを破門に処することによって事態を解決する方向へ歩み出した。