●四大公害訴訟 よんだいこうがいそしょう
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水俣病(熊本水俣病)・新潟水俣病(第二水俣病)・イタイイタイ病・四日市公害(四日市喘息)の訴訟を言う。これらの訴訟は1967年(昭和42)から1969年(昭和44)にかけて提起され,1971年(昭和46)から1973年(昭和48)までにいずれも被害者である原告側が勝訴した。従来の公害による生活妨害に対する訴訟は,原告がその利益や権利の回復を目的するに留まっていた。これに対し四つの公害訴訟は,被害者の利益回復だけでなく,公害問題の実態を法廷を通して明らかにすることによって被告企業の責任回避を追及し,公害に対する一般の認識を深めることもめざしていた。裁判の過程で明らかになった悲惨極まる公害病の実態は,周辺住民を無視した企業活動に深刻な反省を迫るとともに,公害関係立法や公害行政に大きな影響を及ぼした。これ以後,公害反対住民運動の高揚が見られるようになり,公害問題を訴訟で解決しようとする動きが多くなった。