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ヨーロッパ
【歴史,中世の成熟】やがて西ヨーロッパでは封建制度が発達し,村落共同体を中心にした自給自足の度合の高い社会が現れた。そこでは,支配者としての領主に対し自由度の少ない農奴が被支配者となっていた。教会組織は安定したものとなり,教会領をもっていたので地上の存在としても勢力をもち,皇帝権や王権と争うようになっていた。生産力がある程度向上してきたが,疫病・寒さ・飢餓といったものが人々の生活を脅かしていた。やがて地中海交易圏が復活し,北海・バルト海にも交易圏が生まれハンザ同盟が主としてこれを担うことになった。この南北の交易圏の成立によってそれを結ぶ商業路が大陸に発達し始める。それに伴って,ローマ時代の城塞跡などに中世都市ができ始め,領主権支配に対して独自の立場をとり都市内にはギルドが発生してきた。遠距離商業の成立であり貨幣流通の一般化が見られるようになってきた。都市は,封建的村落が農業を行い閉鎖的であったのに比べると,商・工業的であり共同体的規制が緩く自由な空気が強かった。12,13世紀ごろから,エルベ川以東の東ヨーロッパへの西ヨーロッパからの進出が見られるようになってくる。東方植民と呼ばれるのがそれでキリスト教もスラヴ世界に布教されるようになってきた。長い間閉鎖的であったヨーロッパが,拡大的に動き始めたものと見ることができる。この傾向は,十字軍の一面の性格にもつながるもので,地中海方面では地中海東岸・北アフリカ・地中海上の島にヨーロッパ人の進出が見られるようになり,異文化との接触が開始されたのである。
【歴史,近代の始まり】近代になると,イタリア諸都市を中心にルネサンスが始まるが,ルネサンス文化を開花させた背景には東方貿易によって巨大な富を得た商人がいた。東方貿易は合理的計算を行いつつも,中世以来の商業資本の系列に属するもので,神の怒りを恐れる商人が教会や公共建築物を建て,聖書に出てくる話をテーマに壁画などを描かせた。また一面では,合理性を追求する精神もおこり,これが地球を球型と推定し大航海時代を招来させることになった。大航海時代は新大陸や新航路を発見することになるが,これが膨張的になっていくヨーロッパの前提であった。近代の初めには宗教改革も起こった。宗教改革はカトリック教会による一様な支配に対する反発であり,キリスト教の原初的な姿からする批判でもあったが,宗教上の争いが政治争乱となったとき,ハプスブルク家に対するフランスの対抗が明確になってきた。16世紀初めスペイン王となったカルロス1世は,大商人フッガーと手を結び神聖ローマ皇帝カール5世になった。カール5世が異端者ルターを弾圧するとドイツ内ではルター派諸侯との対立を起こし,国際的にはカトリック国のフランスがトルコと結んでカール5世に対抗した。ドイツ・スペイン・ネーデルラント・スイス・フランシェ=コンテ・イタリアの一部を領有したハプスブルク家に包囲されたフランスも,宗教争乱の末に,16世紀末にはヴァロア家からブルボン家に王朝が移るが,一貫して対ハプスブルク政策をとり続けた。海外膨張の先端を進んだスペインやポルトガルに代わって,17世紀には,バルト海貿易の覇者であったオランダが,東南アジアの香料・胡椒貿易に乗り出し世界商業の覇権を握ったが,やがてフランスとイギリスの間に第二次百年戦争と呼ばれるグローバルな争いが続いた。七年戦争に際して外交上の革命が起こったのは,ヨーロッパの勢力均衡の主軸が英・仏の対立に変わったことを示すものであった。
【歴史,近代の完成】素朴な形で始まった工業は,マニュファクチュアと呼ばれる工場制手工業へと進み,18世紀後半にイギリスで産業革命がおこり,機械を使用した大工業がおこってきた。イギリスは,植民地から原料を取り寄せ製品を植民地にも売るようになり,植民地体制と工業・貿易を結びつけてヨーロッパの覇権国家となった。産業革命はやがてヨーロッパ大陸諸国にも普及していったが,世界の工場としてのイギリスの地位は当分の間は揺るがなかった。フランス革命後に出現したナポレオンの使命の一つは,フランス=ブルジョワジーのためにヨーロッパ市場をイギリスから奪回することにあったが成功しなかった。しかし,19世紀も1860,1870年代に入ると,イギリスの優位は揺るがないまでも各国の産業力が伸びてきて,イギリスの独走は許されなくなってきた。イギリスは植民地との結束を堅めてイギリス帝国的団結をはかった。帝国主義政策の採用である。イギリスが帝国主義に踏み切ると,各国もよき原料と市場を求め,植民地の再分配を含めた帝国主義政策を採用して競争が激しくなった。これには,1860,1870年代に国家統一を果たしたばかりのイタリアやドイツも加わった。帝国主義は軍備の拡張を伴い,そのことによって工業はさらに巨大化していった。第一次世界大戦は,帝国主義に基づく各国の世界政策が戦争という形で総決算されたものであったと言える。
【歴史,両大戦間】第一次世界大戦が終わっても,旧交戦国の間には憎悪感が残り,戦争責任を敗戦国に押し付けた。「勝利なき平和」を願い,利己的な国家主義を抑えようとしたウィルソンの理念も空しいものに見えた。戦後の食糧・物資の不足もこの空気を助長した。しかし,1920年代半ばになると,憎悪感の対立も和らぎ生活も豊かになってきて,1920年代後半は一転して国際協調の時代となった。ロカルノ条約などに見られる集団安全保障体制や軍縮会議の進展などがこの具体化である。この間ヨーロッパのあり方が密かにしかし大きく変化していたのである。その第1は,近代を特徴づけたヨーロッパを中心とした世界の一元化が破れていくことである。ロンドンのロンバート街にあった世界金融の中心地は大西洋を渡ってニューヨークのウォール街に移り,生産・貿易の面でもアメリカが一頭地を抜き,ヨーロッパはアメリカの援助なしには復興さえもできなくなっていた。ボルシェヴィキ革命を経たソ連も,巨大国に飛躍する基礎固めを進めていた。変化の第2は,たとえば毒ガスを化学肥料に,戦車を開拓機器にといった具合に,大戦で開発され戦後に不用になった技術を用いて植民地や後進地域が開拓され生産地になっていったことである。ブラジルのコーヒー・マレー半島のゴムなどである。これらがヨーロッパに豊かな生活をもたらし,協調主義による相対的安定をもたらしていた。しかしこれは構造的な生産過剰であり,需要と供給の不均衡である。1920年代末からアメリカに始まる世界恐慌はこのために起こり,アメリカの援助で復興してきたヨーロッパは1930年代に入ると混乱し,各国はそれぞれ自国主義的な政策をとった。ブロック経済の採用などがこれに相当する。基盤の弱いイタリアやドイツは利己的で暴力的なファッショ・ナチス体制をとり,第二次世界大戦に突入していったのである。
【現代】第二次世界大戦後,ヨーロッパはアメリカとソ連を軸にした世界の二極構造の谷間に置かれるようになった。明らかに世界の中におけるヨーロッパの地位の低下であり,ヨーロッパには世界の進路を決める力はなくなっている。これは,ヨーロッパの近代を支える力の源泉であった植民地をアジアやアフリカの解放によって失ったことが大きく作用している。ヨーロッパは二つに割れ,アメリカの指導を受ける西欧・自由主義陣営と,ソ連勢力圏である東欧・社会主義陣営に分かれ,軍事的には北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構に,経済的には欧州自由貿易連合(EFTA)と東欧経済相互援助会議(COMECON)が,それぞれの陣営に対応する組織となっている。それのみでなく大戦後,ベルリン危機を契機に生じた冷たい戦争は,姿を変えながらも顔をのぞかせている。このことは,ヨーロッパの延長線上でとらえることのできる部分をもちながらヨーロッパそのものではない米ソの支配が及んでいることを示しており,ヨーロッパの主体性は低下している。確かにアメリカや日本と比較して技術革新にも遅れをとってきている。われわれがヨーロッパから感じるものは,たくましい活力をもって前進する姿であるよりも古きよき時代の秩序であり,歴史的な遺産であることは事実である。大戦直後の日本が近代化を課題とし,その範をヨーロッパことにイギリスに求めたが,それが幻想にすぎなかったことはまもなく判明した。
【今後の課題】ヨーロッパ各国はこれまで,それぞれの個性を活かすことによって発展してきた。それは,構成する民族・そこから生まれる国民性・地理的位置から生じる諸条件の相違であり,個性的なものを総合したヨーロッパであった。現在,超大国としてヨーロッパに影響力をもつアメリカやソ連は,それ自体が大陸と言ってもよいような規模をもっている。第三勢力としての中国・インドにしても同様のことが言える。これらに対立あるいは協調していく単位としては,ヨーロッパの個別的な国家では不可能である。いわば汎ヨーロッパが考えられなければならない。ここで言う汎ヨーロッパとは,かつて存在したヨーロッパ主義とは異なる。過去のヨーロッパ主義は,ヨーロッパによる世界の一元的支配の上に出てきたもので,ヨーロッパを一段高い次元で考えていた。汎ヨーロッパとは,ヨーロッパ全体をもって他の世界との調和を図ることである。思想的には,日本人の血をひくクーデンホーフ=カレルギに発するとされる汎ヨーロッパ思想に基づき,1952年に設立されたヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を出発点に,1958年からはヨーロッパ経済共同体(EEC)となり,さらに経済面に限定されない共同体となった EC は,フランス・西ドイツ・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクの創立6カ国に,イギリス・デンマーク・アイルランドが加わり9カ国が参加し,内部の利害調節もあって必ずしも楽観を許さないが,ヨーロッパの将来に光を投ずるものと言える。政治体制を異にする東西両ヨーロッパの対立は,ヨーロッパの統合を妨げる最大の障害であり,東西対立の危機を生むものともなっている。この対立は,1972年の第一次戦略兵器制限条約(SALT I)の調印以来,第二次条約(SALT II)がその7年後に結ばれるなどして,軍備制限の面では東西緊張緩和(デタント)が軌道に乗ったが本質的な意味での問題解決には遠く,ドイツ問題を見ても,その統一は現実には近い将来においてはあり得ない。ヨーロッパが世界のなかで,正当な地位を獲得するのは,これらの問題を正常化してから後のことと考えられる。
〔参考文献〕増田四郎『ヨーロッパとは何か』
F.シャボー・清水純一訳『ヨーロッパの意味』
前川貞次郎『ヨーロッパ史序説』
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