50音順    検 索

●(1/2)

AD 

ヨーロッパ(2/2)を見る◆

ヨーロッパ

 ユーラシア大陸の西に突出した半島状の陸地であるが,大陸的単位で考えるのがふつうである。面積は439万4,000平方km,1975年の人口は約6億6,000万人。女神エウロぺの名からつけられた。

【範囲】アジアとヨーロッパの境は,ウラル山脈およびウラル川,南ではカスピ海・黒海およびボスフォラス海峡とするのがふつうである。西は大西洋に面し,西端は大陸部では西経9度30分に位置するポルトガルのロカ岬が,大陸以外ではアイルランドのダンモア=ヘッドが西経10度30分にある。最北端は,北緯71度10分20秒にあるノルウェーのノース岬が当たり,南端は,大陸部ではスペインのタリファ岬が北緯36度01分にあるが,クレタ島などの地中海の島にはこれより南に位置するものもある。南は地中海を隔ててアフリカになるが,イベリア半島の南端ではジブラルタル海峡を隔てているにすぎない。北は北海・バルト海に面し,スカンディナヴィア半島とユトランド半島が北海とバルト海を分けている。イギリス海峡およびドーヴァー海峡を隔ててブリテン島がある。ヨーロッパはこの範囲の中に入っていると言ってよい。ヨーロッパは西ヨーロッパと東ヨーロッパに大別される。歴史的にまた経済史的に見れば,エルベ川以東が東欧とされるが,現在の政治上は西ドイツ・オーストリアの東国境線から西を西欧と言う。また中欧といった概念を用いることがあるが,それはドイツ・オーストリアをもって当てる。また,北欧・南欧と言うこともあるが,北欧とは大約バルト海以北をさし,ユトランド半島を含めてスカンディナヴィア半島周辺をさし,デンマーク・スウェーデン・ノルウェー・フィンランドが含まれ,南欧は一般的に地中海周辺をさす。イベリア半島にあるポルトガル・スペイン・南フランス・イタリア・ギリシアなどがそれに入れられる。

【山脈・河川・平野】ヨーロッパの海岸線は非常に複雑で長く島が多い。ウラル山脈から西方は平坦な地が続くが,西ヨーロッパでは高低の差が激しくなる。主な山脈としては,スペインとフランスの国境にあるピレネー山脈,イタリアのアペニン山脈,スイス・ドイツ・イタリア・オーストリアにまたがるアルプス山脈には,海抜4,807mに達するモンブランがある。チェコスロヴァキアにはボヘミア森エルツ山脈ズデーテン山脈が,ルーマニアにはトランシルヴァニア=アルプスがあり,ブルガリアにはバルカン山脈・ロードップ山脈があり,ソ連領に入るとコーカサス山脈・ウラル山脈がある。またスカンディナヴィア半島には,古い造山活動によってできこのために山頂が台地をなしているスカンディナヴィア山脈が見られる。以上を総括して言えば,スイス=アルプスを要にして扇状に山地が広がっていると言える。河川について言えば,大河であるローヌ川・ライン川・エルベ川・オーデル川・ビスワ川の諸川は,ほぼ南から北に向かって流れている。これに対しドナウ川はアルプスに源を発し東に向かって流れて黒海に注ぐ。黒海には,南に向かって流れるドニエプル川ドン川などの川があり,ヨーロッパ最大の川であるヴォルガ川はカスピ海に注いでいる。各国には,イギリスのテムズ,フランスのセーヌ・ロワール,イタリアのポー・ティベル,ポルトガルのタホ,スペインのグワデルキビル・エブロ川などが挙げられる。大河は,それぞれかなり上流までの航行が可能で,交通・産業上,重要な役割を果たしてきた。河川周辺には都市が発達し産業が興っている。アルプスに代表される南の山脈と,スカンディナヴィア山脈に代表される山岳地域との間は広い平野で,フランス・ドイツからポーランドにまたがっており産業や文化の水準も高い。この平野の東に構造平野であるロシア平原が続いている。

【気候】地図を開けば分かるが,ヨーロッパ大陸の南端にあるタリファ岬はわが国の福井市に当たり,ベルリンは北海道北端の宗谷岬より北に位置している。これらはヨーロッパが日本に比べてかなり北になっていることを物語るが,全体としては温和である。これは大西洋を西にもち,メキシコ湾流や偏西風のおかげを受けているためで,大西洋から遠い大陸内部,東ヨーロッパでは厳しい気候になってくる。年間平均気温は10℃〜20℃で気節の変化がはっきりしている。ヨーロッパの気候は,北大西洋に発生する低気圧とロシア平原付近にできる乾燥した冷気団のバランスによって変化するのであるが,地域的に分ければ,温暖で晴天が多く雨量が比較的少ない地中海地域,曇天が多く比較的雨量の多い大西洋浴岸や北欧地域,寒暖の差がはっきりしている大陸部となり,東ヨーロッパは大陸気団やシベリア寒気団の影響を受ける。これらの気候に伴って,地中海地域では水分に乏しい土壌にオリーブ・ブドウ・イチジクなどが栽培され,アルプス以北ではブナ・カエデ・カシ・ニレなどの樹木が多く,北ヨーロッパではモミ・カラマツが多くなってくる。

【人種】ヨーロッパは,大体において白色人種の土地と考えてよいが,それでもスカンディナヴィア人の皮膚はバラ色の透き通ったような白さであるのに対し,地中海沿岸住民は浅黒さを混じえている。毛髪がブロンドで碧眼のものは北部に多く,スウェーデン・フィンランドの一部,南ノルウェー・ソ連・ポーランド・デンマーク・北ドイツ・イギリスの一部などがこれに当たる。この地域は,平均身長が170cm以上の高身型の分布とほぼ一致する。160〜165cmの中身型の低身タイプは,スペイン・ポルトガル・イタリア・南フランスなどに多く,皮膚が浅黒い地中海沿岸住民に当たり,平均身長が中身型の高身タイプは,ドイツ・ポーランド・バルカン諸国で見られる。ヨーロッパ諸人種がどのようにして発生したのかは未解である。第二間氷期にはハイデルベルク人が住んでおり,第三間氷期と第四氷期期にはネアンデルタール人がいたが,前者は猿人,後者が最初の化石人類と考えられる。現生人類の先祖とされるのは,アフリカのホッテントットやブッシュマンと似ていて,北イタリアの一部やフランスのローヌ川沿いに住む住民に特徴を残しているグリマルディ人,フランスのドルドーニュ地方やスウェーデン南部の住民に特徴を伝えているクロマニョン人,エスキモーの祖先と考えられるシャンスラード人らである。その後さまざまな人種の侵入と混血によって,ヨーロッパ人は複雑に構成されていったと言うべきであろう。言語的には,インド=ヨーロッパ語系のものが主流を占め,それがゲルマン・ロマンス・スラヴの三つの語系に大別される。ゲルマン語系に属するものは英語・ドイツ語・オランダ語などの西部方言,スウェーデン語・デンマーク語・ノルウェー語・アイスランド語の北部方言である。ロマンス語系はラテン俗語が分化したもので,イタリア語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語・ルーマニア語などがある。スラヴ語系はロシア語・ウクライナ語・白ロシア語の東部方言,ポーランド語チェコ語スロヴァキア語の西部方言,セルボ=クロアティア語スロヴェニア語・マケドニア語などの南部方言がある。これら三大語系以外にも,大陸系と島系に分かれているケルト語派ラトヴィア語・リトアニア語のバルト語派アルバニア語派ギリシア語派などがあり,また非インド=ヨーロッパ系諸語としては,フィン=ウゴル語族の用いるフィン語やマジャール語などがある。

【国家】ヨーロッパには三十数カ国が存在している。その中にはアジアにまたがり,ユーラシア大陸の北部を一国で占めているソ連もあり,ヴァティカン教皇国やモナコ,あるいはサン=マリノリヒテンシュタインに代表されるような小国もあるが,ユーラシア大陸の半島部に三十数カ国があるということは,平均的に見れば,国家は面積においてわが国より小さな国がひしめき合っているということになる。人口から言えば数千万人程度である。いわば中程度で文化や産業は高度に発達し,生活程度は高く,教育も普及していると言ってよい。これを中国を中心とした東アジアやインドを中心とした中央・南アジアと比較してみると,そのあり方の構造的な相違がわかる。東アジアでは,国土・人口ともに漢民族を主体とした中国が飛び抜けており,歴史的に見れば,文化や経済の発達・政治的影響力においても中国が主導権をもってきた。周辺の諸国(民族)は,中国に次ぐ位置を獲得しようとしてきた。現在のアメリカ大陸でも,アメリカはすべての分野で抜きん出た存在である。このようなところでは,中国やアメリカを頂点にした序列型の縦型秩序ができる。これに対してヨーロッパでは,中型国家が横一線に並んでいる。ヨーロッパ独自の国家系秩序である勢力均衡は,以上のことを前提として成立する。それは特定の主軸になる国家対立を中核にして,国家群と国家群が対立して秩序と安定を求め,特別な国家がヨーロッパの覇権を握りそうになれば,その反対に多くの国家が結集していくのである。その意味から言えば,ヨーロッパのあり方は最初から国際関係的であったと言える。ヨーロッパの国境はつくられたものであることが多い。それゆえにライン川をもって,自然の国境とすべしとする自然国境説がフランスによって主張されたりする。アルザス・ロレーヌエルザス・ロートリンゲン)の例のように,いく度となくドイツとフランスの領土となった歴史をもつ地は多い。ある日突然住民の所属する国家が変わってしまうことがある。この意味から言っても,ヨーロッパは国際的になる要素をもっていた。

両翼理論】近代ヨーロッパの国際関係を見る場合,ハプスブルク家(ドイツ)とブルボン家(フランス,ただし,16世紀末まではヴァロア家)の対立がその主軸になり,イタリアの一部,スペイン・ネーデルラント・ドイツなどの先進地帯を所有したハプスブルク家に包囲されたブルボン家が,その包囲を解いていく。やがてハプスブルク家の没落によって,イギリスとフランスが国際対立の主軸になっていったと言われる。ドイツの歴史家デーヒオは,イタリアを中心にした国家系秩序に始まるヨーロッパの勢力均衡を,両翼理論としてまとめた。その骨子は,米ソ対立の間にあるヨーロッパの姿が現代史に限られたものではなく,近代に入るとともに,帝国的規模をもつオスマン=トルコが東方からヨーロッパに強い圧力をかけてきた。トルコが衰えるとそれに代わって非ヨーロッパ的なロシアがプレッシャーをかけてくる。この東方からの圧力に対抗する力を,ハプスブルク家の下にあったスペインやポルトガルは,大西洋を越えた新大陸からの銀の輸入や世界商業によって,アジアなどから運ばれてきた富によって得ていた。それはイギリスの植民地体制によって完成される。両翼理論は,ヨーロッパを世界の中心に考えてきた発想法に対して,ヨーロッパを世界の中において考え直してみた発想であるということができる。

【アジアとの比較】アジア人である日本人は米を食糧にしている。過去に遡れば,米が麦となりひえになることもあるが,穀物という農産物を主食品にしてきた。日本の歴史的な人口が日本で生産される米・麦の限度と一致することはしばしば言われてきた。日本だけでなく,アジアのモンスーン地帯は構造的にほぼ日本と似ている。ヨーロッパはアジアに比べ同一面積での農作物の収獲率が低いのが一般である。それは雑草が小さく少ないところから見てもわかる。このことは農業を中心にしている限り,ヨーロッパは先進的にはなり得ず,商業・工業を中心にした社会への転換が試みられ恵まれていたがゆえに,農業段階を抜けられなかったアジアなどの停滞性と対比される前進性が生まれてくる。一面,農業の生産性の低さは,家畜を飼い,肉・乳をもって食料を補う農・牧生活を必然化させる。西洋人は肉食であるという考えは必ずしも正確ではないが,動物性食料が必要であったことも事実である。農作に労働力を提供してくれる家畜は人間と同じレベルで考えられ,化身として姿を変えているにすぎないとするアジア的・仏教的な思想に対して,人間を中心に考え,家畜などは人間の存在のためにのみあるとする人間中心主義(ヒューマニズム)はヨーロッパ的な思想になる。比較的,食糧などに余裕のあったアジアでは,生物の基本を平等なものとし虫一匹にもあわれみを感ずるのに対し,ヨーロッパでは人間の有益性・有能性を重視する。法とか正義に対する観念も違ってくる。この発想法の相違が文化の類型的相違となってくるのである。

【歴史・古代】旧石器時代には,ほとんど違いのなかったユーラシア大陸の文化は,中石器時代から新石器時代に進むにつれて地域的な変化を生じ民族も分かれてくる。やがて気候の変化などによって民族(部族)の移動が行われるようになると,この違いはますます鮮明になっていった。ヨーロッパはそのころまだ北アフリカや南西アジアと一体となっていて,地中海の島を中継基地として先進地帯の文化を吸収していた。文明は農業文明として発生したので,大きな河川・豊かな太陽光線・肥沃な土壌をもっていたナイル川流域やチグリス=ユーフラテス川流域が先進地域であり,ヨーロッパの南部が地中海世界の一環に組み込まれていたにすぎない。ギリシアの歴史は以上のことを如実に示している。先進地帯から伝えられてきた文化は,クレタ島やエーゲ海諸島において結合し新しい型の文化となった。前2000年ごろと前1200年ごろからの二波に分かれてバルカン半島に南下して定住したギリシア人は,先進文化を受け継いで発展させていった。ギリシア人はポリス Polis と呼ばれる都市国家を生活の基盤にしたが,前8世紀ごろから,地中海・黒海沿岸に植民市をつくり始めた。食糧自給に限界のあるギリシアでは,穀物の獲得や商業が必要だったからである。ポリスの生活はギリシア人独自のものであり,ギリシア文化を生む基礎になったがオリエントの影響を受けずにはいられなかった。ペルシア戦争(前492〜前479)は,優勢な東方のペルシア軍をギリシアのポリスが協力して防いだものであった。ペロポンネソス戦争以後ギリシアは急速に衰え,マケドニアのアレクサンドロスによるマケドニア帝国が一時出現しヘレニズム文化を残したが,このころでもアルプス以北は地中海文明圏の外側にあり,ギリシア人にもヨーロッパの概念はなくヘレニズムはオリエント=アジアと結ばれたものであった。先住エトルリア人の支配を脱しギリシアの影響を受けて成長していくローマも,前1800年ごろから南下してきたラテン人が定住し都市国家をつくったのが最初である。ギリシア人と異なり,ローマ人はエトルリア人や南のギリシア植民地を討ってイタリア半島を統一した。ローマ人が地中海に進出していこうとして最初に衝突したのが,地中海東岸を本拠地としアフリカ北岸にカルタゴを築き,地中海の商業権を握っていたフェニキア人とのポエニ戦争(第1回前264〜前241,第2回前218〜前201,第3回前149〜前146)である。これに勝利を収めたローマは,イベリア半島・北アフリカに属州をもち,以後拡大を重ねてヨーロッパのほとんど全土・北アフリカ・南西アジアの三大陸を含む大帝国になっていった。ローマの征服は地中海世界のローマによる完成で,政治・経済・文化の中心はイタリア(ローマ)にあったにしても,アルプス以北の地がローマ帝国領となったことは,ヨーロッパという概念が発生する上で意味がある。ただし,ローマによる政治的統一にもかかわらず,オリエントの優位性は変わっていない。東方的君主になる野望があるとされたカエサルを暗殺していること,カエサルを暗殺したのにそれ以後共和政の伝統を捨てて帝政になっていったこと,ローマ市に対してビザンティウムの地位がしだいに上昇してきていることなどが,ローマの東方文化を物語っている。キリスト教を公認し国教にしたことも,東方化現象の一つと見てよいが,ローマを通してキリスト教が入ってきたこことは,後のヨーロッパに甚大な影響を残すことになる。4世紀後半,ゲルマン人が部族国家を維持したままローマ領内に侵入し,476年西ローマ帝国は滅亡した。ゲルマンの民族移動と西ローマ帝国の滅亡を直接に結びつけることはできないが,ゲルマン人という要素が加わったことでヨーロッパは新しい局面を迎えた。

【歴史,ヨーロッパの形成】ドゥソンは,初期中世をヨーロッパの形成期としてとらえた。地理的に言えばヨーロッパは古くからある。しかし,歴史的・文化的概念としてのヨーロッパは,ヨーロッパに共通する文化遺産をつくり,その基盤となる文化の一つを生んだ古典古代には存在せず,バルカン半島やイタリア半島が地中海世界の中心の一つになったにすぎぬと言っても過言ではない。ローマ帝国の滅亡は,ローマ帝国という組織のなかで安心して生活していた人に衝撃を与えた。国家の保護や援助はなくなり,小地域や極端な場合は個人が自分たちの力だけで生きていかねばならなくなった。その上,7世紀にムハンマドによって樹立されたイスラーム教は,8世紀前半には北アフリカを征圧し,イベリア半島まで手中に収めた。地中海はイスラームの海となり,「キリスト教徒は舟板一枚浮かべることのできない」ものとなった。少し遅れて北方のノルマン人の活動が活発になり,北海・バルト海を舞台とするのみでなく,河川を利用して遡り修道院や村落を襲撃するようになり,大西洋を回って地中海にも進出してきた。東方からは,アヴァール人やアジャール人の侵入が見られた。ヨーロッパは強力な非ヨーロッパ要素によって囲まれ閉鎖された。近代の積極的で拡大的なヨーロッパからは想像できない状態が出現した。このなかで,ヨーロッパは試行錯誤を繰り返しながらより強力な者の保護を受ける制度である封建制・荘園制をつくりあげ,移動してきたゲルマン人とも一つになって,ランケの言うローマ的・ゲルマン的な存在になっていった。ローマ時代に入ってきたキリスト教はゲルマン人をも教化し,ローマ的・ゲルマン的世界である西ヨーロッパは,トレルチの言うようなキリスト教的・文化的総合体になっていった。亜熱帯的なナイル・チグリス=ユーフラテス川畔に発生した文明が,古典古代の時代には地中海を渡ってバルカン半島やイタリア半島にまで北進してきたが,中世前期においては,アルプスを越えてフランスやドイツにまで及んだとも見ることができる。当時の東ヨーロッパは,東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の下でギリシア正教が支配的であった。東ローマ帝国は中世初期には,西方より文化的に進んでいたと考えられ,西ヨーロッパでは,教会の頂点に立つ教皇と地上の権力者である皇帝とが分離していたが,東ローマ帝国皇帝はギリシア正教会の首長をも兼ねていた。また東ヨーロッパではスラヴ的要素が強く,ラテン人とゲルマン人を中心にする西ヨーロッパと異なっていた。

(1/2:続く)

ヨーロッパ(2/2)を見る◆