50音順    検 索

●ヨルダン

アジア ヨルダン・ハシミテ王国 AD 

 正式名称は,Al Mamlakat al Urduniyat al Hashimiyah(ハシム家のヨルダン王国)。北はシリア,東はイラク,南はサウジアラビア,西はイスラエルに接するアラブ民族の国。立憲王国だが事実上は国王独裁に近い。首都はアンマン。農牧業以外に産業と言えるものはなく,財政はアラブ産油国や欧米の援助・借款・外国出稼ぎ労働者の送金に頼っているのが実状である。

【歴史】古代から歴史に登場する地帯だが,エジプト王朝・セレウコス=シリア王朝・ローマ帝国・ウマイア=アラブ帝国・オスマン=トルコ帝国などに支配され,20世紀まで国家を成立させたことはなかった。第一次世界大戦に際して,代々メッカの首長だったハシム家のフセインが英国の援助による対トルコ反乱を起こし,“アラビアのロレンス”に率いられたゲリラ活動で,パレスチナ・シリア地方からトルコ軍を追放した。戦後,その功績によりフセインの次男アブドゥラを国王とし,パレスチナ東部を主要国土とするヨルダン王国の成立が連合国から認められた。しかし,本来の連合国との約束は全パレスチナを領土とするものであったが,連合国はユダヤ人にも同様の約束を与えてしまったため,今日の“中東問題”の原因となった。ヨルダンは事実上,英国の保護国であったが,1946年に完全独立を達成した。しかし,1948年のイスラエル建国以来,4回の対イスラエル戦に敗北し,1967年の第三次中東戦争でヨルダン川西岸地帯を失った。しかも,パレスチナ解放機構(PLO)の人々が敗戦でヨルダンに大量移入し同国に政権を成立させようとしたため内乱が生じ,フセイン国王(1952〜)は徹底的に弾圧した。しかし,同国王はエジプトの調停により,もしイスラエルがヨルダン川西岸にパレスチナ国の成立を認めるならば,それと同盟する国家をつくってもよいとの妥協案を告示した。しかしイスラエルにヨルダン川西岸返還の気運はなく,パレスチナ問題の前途は多難である。

01