50音順    語句から検索する

●吉野作造 よしのさくぞう

アジア 日本 AD 

1878〜1933(明治11〜昭和8)明治・大正・昭和の政治学者。大正デモクラシー運動の理論的指導者。ペンネームを古川学人とも。宮城県志田郡古川町(現古川市)の商家に生まれ、仙台の大学予科法科(のち第二高等学校)を経て、東京帝国大学法科を大学院まで卒業。予科の時代に、バプテスト教会の宣教師ブゼル女史の聖書研究会に参加。帝大在学中には、本郷教会の海老名弾正の影響もあってキリスト教社会主義に近づいた。1906年清国の袁世凱の長子の家庭教師になるとともに、北洋法政学堂の教授ともなった。1909年帰国して東京帝大助教授。その後三年余りを欧州留学、1914年(大正3)帰国して教授。このころから「中央公論」に政治評論を発表しだし、1916年同誌1月号に発表した『憲政の本義を説いて其の有終の美を済すの途を論ず』などで民本主義論を唱え以降のデモクラシー運動の理論的支柱となった。その後東大新人会の結成(1918)などに尽力するとともに、普通選挙論・貴族院改革論などで国内政治の改革を訴えた。1924年に朝日新聞社に入社したが筆禍などで3カ月ほどで退社。以後東大講師の職に就き、総長古在由道の顧問役を果たすとともに尾佐竹猛らと明治文化研究会を設立、雑誌「明治文化」などのほか『明治文化全集』全24巻を刊行した。この間1926年社会民衆党の結成などにも力を惜しまなかった。

01


旅研トップページ