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●吉野朝廷 よしのちょうてい

アジア 日本 AD1336 南北朝時代

 後醍醐天皇より4代約60年にわたって存在した南朝のこと。1336年建武新政権が瓦解し,足利尊氏が持明院統光明天皇を京都に擁立したのに対し,同年12月後醍醐天皇は吉野に入って大覚寺統の朝廷を継続したが,その統治は近畿地方の一部・菊池氏の活動した九州・および東北地方の一部にとどまった。後醍醐天皇没後は後村上天皇に引き継がれ,皇居も吉野から賀名生・男山・住吉と転変したこともある。その後,長慶上皇と後亀山天皇の間に対立を生じ急速に勢威は失われた。1392年足利義満の勧説によって後亀山天皇は北朝の後小松天皇神器を授与し,ようやく南北朝の合一を見た。それ以後皇位は北朝方が継承したが,江戸時代に朱子学の大義名分論の立場から南朝への精神的支持の高揚が見られ,明治初年,南朝の正統が勅定される。国粋史観は足利尊氏に冷淡となり,明治末年には南朝の名そのものを廃し吉野朝と改めた。今日では通史的に南北朝の対立ととらえるのが妥当である。