●吉田東洋 よしだとうよう
アジア 日本 AD1816 江戸時代
1816〜1862(文化13〜文久2)幕末に土佐藩の藩政改革に活躍した政治家。字(あざな)は正秋,通称元吉,東洋は号である。土佐藩で200石の馬廻役であった吉田光四郎正清の四男として生まれ,兄の死により家督を継ぐ。鹿持雅澄・斎藤拙堂に師事した後,江戸に出て藤田東湖・塩谷宕陰・安井息軒らと親交を結ぶ。1842年(天保13)船奉行に,次いで郡奉行・大目付へと進み,1853年(嘉永6)藩主山内豊信に起用され,藩政改革をはかるが保守派の反対にあい翌年免職される。1857年(安政4)内外の情勢がひっ迫し,再び仕置役として復職した。改革派の組織“おこぜ組”を率い,門閥政治の打破・藩権力による流通機構の統制強化・洋式兵器の採用など藩政改革に尽力した。しかし,こうした東洋の開国佐幕方針に反対する尊王攘夷派の土佐勤王党那須信吾らは,1862年下城の途中に東洋を暗殺し,神山郡廉・福岡藤次らの東洋派は追放された。
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