●慶滋保胤 よししげのやすたね
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?〜1002(?〜長保4) 陰陽家。加茂忠行の子で,大学寮の学生と比叡山の僧との間に,964年(康保1)「勧学会」という念仏結社をつくった。当時,政界の上層部は藤原氏,殊にその北家の人々によって占められ,文人貴族では菅原・大江二氏が文章道を独占していた。そのために出世できない中下流の貴族は,出世をあせらず静かに世を過ごそうとしそれが当時の観想念仏の情感に適合した。こうして藤原時代の浄土教はまず中下流の貴族に受容されたが,その代表者が慶滋保胤であった。勧学会は3月・9月の15日に行われ,講経と詩会を行った後,念仏して徹夜した。慶滋保胤はまた『池亭記』(『本朝文粹』所収)を書いたが,そこには彼の内面生活がよく出ている。次いで,慶滋保胤は『日本往生極楽記』を書き,念仏についての自他の実践を述べた。そこにはフィクションもあろうが,厳しい修行をした者がいたことは認められる。慶滋保胤は986年(寛和2)に出家して叡山の横川に入り,法号を寂心と一言った。