●横山大観 よこやまたいかん
アジア 日本 AD1868 明治時代
1868〜1958(明治1〜昭和33)日本画家。水戸藩士酒井捨彦の長男。東京に移った後,母方の姓を継ぎ横山秀磨と姓名を改めた。1893年(明治26)第1回東京美術学校絵画科卒業。卒業制作「村童観猿翁」。京都市美術工芸学校・母校助教授を歴任するが,東京美術学校騒動で師の岡倉天心とともに退職。この間,出世作「無我」を発表。1898年(明治31)天心を中心に日本美術院を創立し正員として参加し,以来,天心の東洋の理想を具現すべく,下村観山・菱田春草らと日本画革進運動を推進した。このころの作品は「朦朧体」との非難を浴びた没線描法を用いたが,インド・アメリカ・ヨーロッパ旅行後,「瀟湘八景」「生々流転」などの作品により画壇での地位を確立した。1913年(大正2)天心死後の再興美術院を下村観山・安田靫彦・今村紫紅らと主宰。帝室技芸員・帝国美術院会員(のちに帝国芸術院)となり,1937年(昭和12)第1回文化勲章を受賞。
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