50音順    検 索

●横穴式石室 よこあなしきせきしつ

AD 

 古墳の埋葬施設の一形式で,追葬・合葬が可能な入口部を有する石積みの墓室。この種の石室はインド・ヨーロッパなど世界各地に存在し,中国・朝鮮にも普遍的に認められる。朝鮮では高句麗が最も早くこの墓制を取り入れ,穹窿式天井の石室が4世紀中葉に中国系のセンカクボ※注1※の影響によって成立した。高句麗には,このほか直立する四壁の上に平天井を架構する平天井式石室や四壁のマグサイシ※注2※上の四隅に平石を順次架構する三角持送式石室などがある。5世紀代には百済・カヤ※注3※・日本にも波及し,カヤ※注3※では竪穴系横口式石室などが築造された。7世紀以後の新羅統一時代においても横穴式石室は盛んにつくられたが,これは唐の影響によって成立したものと考えられている。

 横穴式石室の形状・構造にはさまざまなものがあるが,基本的には遺骸を安置する玄室と玄室への通路である羨道から成る。石室は玄室と羨道の関係によって大きく分類され,(1)羨道が玄室の長軸線上につくられ玄室との境の両側に袖を有する両袖形,(2)羨道が一方によっていて片方にだけ袖を有する片袖形,(3)羨道と玄室が同じ幅で玄門部に括れのない袖無形,がある。玄室は方形・長方形の平面形を呈するものが多いが,楕円に近いものや胴張りのものL字形のものなどがある。また,玄室の手前に前室を有する複室構造を呈するものも存在する。床面には小礫を敷設し排水施設を設ける例も多い。四壁は自然石や加工した石を積み上げて構築し,小口積み・横手積み・通目積み・互目積み・切組積みなど石材と石材の加工度によってさまざまな手法が認められる。玄室天井部は四壁の上に一枚ないし数枚の大きな平石を架構するものが多いが,四壁の上部をもち送って穹窿状にした後に天井石をのせる穹窿式石室,板石を切妻造りの屋根の形に組み合わせる合掌式石室などもある。玄室内部には棺台や造りつけの組合せ式石棺を設置したり,低い板石で玄室を囲む石障や間仕切り石によって内部を区画しているものもある。玄室は羨道部と段差や玄門柱石・梱石(しきみいし)などによって区画され,玄門柱石の上には天井と密着する梁石や天井から遊離して玄門を構成するマグサイシ※注2※を有する例も認められる。また,羨道部にも柱石による羨門を有するものがある。羨道入口の閉塞は板石によるものと石積みによるものとがあり,羨門を有するものに板石を使用する例が多い。石室入口から墳丘の外にある前庭部は,埋葬・追葬などに伴う墓前祭が行われた場所と考えられている。

 わが国の横穴式石室は5世紀前半代に朝鮮半島から伝播したものと考えられ,九州などに初期横穴式石室が分布している。九州の初期横穴式石室には,竪穴系横口式石室・横田下古墳タイプ・肥後タイプがある。竪穴系横口式石室は5世紀初頭の福岡県老司古墳を初源とし,在来の堅穴式石室が伝来の横穴式石室の導入に対応したものとされる。横田下古墳タイプの石室は,奥壁に比して左右両側壁のもち送りが強い長方形プランの玄室を有し,百済の熊津期のものに起源が求められる。肥後タイプの石室は,四壁をせり出した穹窿状の天井をもつ正方形プランの玄室を有し,百済のシヒ※注4※期の石室が受容されたものと考えられている。これに対して,畿内の初期横穴式石室は九州と系譜を異にするとされており,その起源を中国の南朝に求めるものと楽浪地域の中国南朝系の石室に求める説とがある。また,九州などの地域では大型前方後円墳に初期横穴式石室が採用されているのに対し,畿内では中小古墳にのみ認められ,地方によって受容の仕方に差があることが指摘されている。

〔参考文献〕白石太一郎「日本における横穴式石室の系譜」先史学研究5,1965

尾崎喜左雄『横穴式古墳の研究』1966,吉川弘文館

小田富士雄「横穴式石室の導入とその源流」東アジア世界における日本古代史講座4,1980,学生社

00

01