●用水争い ようすいあらそい
アジア 日本 AD
水利をめぐる村落間の争い。中世には水問答,近世には水論(すいろん)と呼ばれた。水田農耕においては,旱害時の水不足が紛争の原因になりやすく,このためどの地域でも配水法が慣行によって定められていたが,これが破られると水論となる。最も多いケースは堰の利用をめぐる上流・下流村間の争いで,そのほか地中へ樋を通して引水する伏樋の設置をめぐる争い,下流村が河底を流れる水を得るための川掘り・川浚えをめぐる水論,溜池灌漑地域での番水慣行が不明確なときに生じる水論などさまざまの場合があり,また多摩川の飲水など日用水をめぐる水論もあった。水利権の管理主体は村ないし村連合であったため,用水争いは村落単位で行われ,長期かつ広域にわたる場合は領主や幕府の裁許を仰ぐこともあった。〔参考文献〕喜多村俊夫『日本灌漑水利慣行の史的研究』1950,岩波書店