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●楊貴妃 ようきひ

アジア 中華人民共和国 AD719 唐

 719〜756 中国,唐の玄宗の妃。幼名玉環。735年,玄宗の第18皇子寿王瑁の妃となった。玄宗は寵妃であった武恵妃を失いその代わりとして744年楊氏を宮中に迎え,翌年,貴妃の称号を与えた。楊貴妃を迎えるに当たって,玄宗は彼女がなんといっても息子の妻であったため,一度道観(道教の寺)に入れて女冠(道教の尼)とし太真という名を与えるという手続きを踏んだ。彼女は天成の美貌に加えて才知に富み,音楽を解し舞いをよくしたので玄宗の気に入り寵愛を一身に集めるようになった。彼女は宮中では「娘子」と呼ばれ皇后なみの待遇を与えられた。玄宗は楊貴妃に惑溺するのに比例して政治的惓怠の度を深めていった。

 また,族兄の楊国忠は財政面の官職につけられ,前後19年間宰相の位にあって専制的権力を振るっていた李林甫が死ぬと,代わって楊国忠が宰相となった(752)。彼は狡智に長け,楊貴妃の恩寵を背景に権勢を振るった。官界の阿諛者は楊氏の門に群がったと言われる。

 例の安禄山は,最初は楊国忠と手を結んで李林甫に対抗したが,李林甫の死後,楊国忠との間に確執が深まり755年ついに反乱を起こした。玄宗は成都へ向けて避難したが,その途中,都を去ることいくばくもない馬嵬駅という小村で,行幸に従う兵士は国難を招いた元凶として楊国忠を斬りさらに楊貴妃の処断を玄宗に要求した。玄宗はやむなく楊貴妃を縊死させ成都へ無事逃避することができたのである。

 楊貴妃は自ら政治に口出しするタイプの女性ではなかったらしいが,亡国の危機に際して犠牲となった。唐の詩人白居易の詩『長恨歌』は,楊貴妃と玄宗の悲恋を歌い有名である。

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