●由利公正 ゆりきみまさ
アジア 日本 AD1829 江戸時代
1829〜1909(文政12〜明治42)幕末から明治期における政治家。旧姓を三岡。通称を石五郎,後に八郎。字を義由。雅号に雲軒など。福井藩士の子として越前国足羽郡に生まれる。その母幾久は家政に長け,後に財政に手腕を発揮する公正は母を助けて育った。その傍にする剣術・槍術などの習得にも要領がよかったという。19歳のとき横井小楠に傾倒,その財政を学んだ。1853年(嘉永6)25歳で家督を相続。ペリー来航後,藩命で品川砲台の警備につき米艦を目撃する。翌年帰国して藩政改革に従事,養蚕など特産物の産業の発展に尽力した。維新後,祖先の由利姓に復す。また明治新政府の参与となって御用金取扱いを命ぜられる。太政官札の発行などの財政・金融政策に力を発揮。また五箇条の誓文の起草にも参画した。その後一時福井に帰ったが,1870年(明治3)に上京して翌年東京府知事。岩倉遣外使節団に加わり,のち元老院議官・貴族院議員を歴任した。