●ユーラシア
ヨーロッパ ヨーロッパ AD
ヨーロッパ大陸とアジア大陸の総称。世界最大の大陸で,ヨーロッパの Eur とアジアの Asia の合成地名。1858年に出版されたロイシの『地理学手引』に初めてこの語が見出される。一般にウラル山脈からカスピ海・コーカサス山脈・黒海を経てボスポラス・ダーダネルス海峡に至りエーゲ海に達する線で,東のアジア・西のヨーロッパに分けられる。アジアは,「東,日の出る所」,ヨーロッパは「西,日の没する所」を意味し,古代のアッシリア帝国(前1150ごろ〜前612)で,エーゲ海の東岸をアス,西岸をエレブと称したことが語源となっている。アジアとヨーロッパは,風土・民族・歴史・経済・社会・文化にわたって異なった様相をもちながら,歴史的に多くの交流やつながりがある。【自然と風土】ユーラシアは,広大な大陸で経度で200度,緯度で76度の開きがあり,面積5,421.7万平方km,全陸地面積の36%を占める。アフリカ大陸ともスエズ地峡によってつながり,アフロユーラシアと呼ぶこともできる。東部にカムチャツカ・朝鮮・インドシナ,西部にスカンジナヴィア・イベリア,南部にインド・アラビアなどの半島があり,大陸縁辺の付属海も入りくんでいて,海岸線は五大陸中最も出入りが多く変化に富む。
地質構造的には,北部にロシア卓状地とシベリア卓状地,南部にアラビア楯状地とインド地塊,東部にシナ地塊があり,これら安定陸塊の周辺や中間部に造山帯がある。古期造山帯には,ヨーロッパのスカンディナヴィア・ペニン・ズデーデン山脈や,アジアとの境のウラル,アジアのアルタイ・テンシャン・クンルン山脈などがある。新期造山帯のアルプス=ヒマラヤ造山帯は,西のピレネー・アルプスからカフカス・ヒンズークシなどを経て,世界の屋根と言われるパミール高原からヒマラヤ山脈へと続き,大陸に東西に横たわって南北間の大きな障壁となってきた。大陸には長大な河川が数多くあり,広大な平原や平野を形成して,人々の生活舞台となっている所も多い。大陸の標高差は,中国トルファン盆地の−154mからヒマラヤ山脈のエベレスト(チョモルンマ)の8,848mまで約9,000mに及ぶ。
気候的には,南部の熱帯から北極海沿岸の寒帯まで緯度に沿って気候帯が並ぶが,東西の気候差も大きく,同一緯度帯でも西岸気候に属するヨーロッパは,大陸東岸に位置するアジアに比べ温和な気候である。太平洋・インド洋に面する東部と南部はモンスーンの影響を受けて,湿潤であり植物がよく繁茂し農業を基盤として世界最大の人口密集地域となっている。一方,西部のアラビア半島から大陸中央部にかけては広大な乾燥地域が広がり,人口密度は低く遊牧などの形態が見られる。温和なヨーロッパでは,農業とともに工業も発展し人口密度は高い。北部のシベリア地域は,開発が進みつつあるが寒冷のため人口はまばらである。
【人種・民族と言語】ユーラシアでは,古来より人種・民族の移動があり,今日における分布も多様である。東部の東アジア一帯には,世界最大の人種群であるモンゴロイドが分布し,言語的にはウラル=アルタイ語族とシナ=チベット語族に大別できる。ヨーロッパから西アジア・インドにかけては,コーカソイドが分布し,言語的にはインド=ヨーロッパ語族とアラビア半島のセム=ハム語族に分けられる。インド南部のドラビタ族はネグロイド系で言語的にも他とは異なっている。人種的には混血も多く,ヨーロッパにおけるフィンランドやハンガリーのようにアジア系の人種島を形成している所もある。
【宗教】ユーラシアには,世界の三大宗教の発祥地があり今日でもこれらの宗教が広く分布する。前6世紀ころインドで興った仏教は,中国・東南アジアなどのユーラシア東部一帯へ伝播した。ユダヤ教を基礎とし,紀元ころパレスチナで興ったキリスト教はローマ帝国で公認された(313)後,ヨーロッパ一帯に広がり,さらにヨーロッパ人の勢力拡張によって“新大陸”やアジア東部にも広められた。7世紀にアラビア半島で興ったイスラーム教は,イスラーム(サラセン)帝国やオスマン=トルコなどの勢力拡張に伴い,西アジアから中央アジアのユーラシア中央部・北アフリカを中心に,東南アジア沿岸部や一時期はヨーロッパのイベリア半島まで広がった。インドは現在ヒンズー教が多い。これら宗教は,人々の生活や思想・社会にわたって広範な影響を及ぼしそれぞれ独自の文化圏を形成している。
【文明の興亡と民族移動】前7000〜前6500年ころオリエントで始まった農耕・牧畜は,ユーラシア大陸の諸地域に広がり,これを基礎にして,前4000〜前2000年紀の間にオリエント(メソポタミア・エジプト文明)中国(黄河文明),地中海地域(エーゲ文明)インド(インダス文明)に古代文明が成立した。これらの諸文明は独自の社会が文化を生み出しながら古代国家の形成へとつながった。地中海地域ではギリシアのポリスが,オリエントではアッシリアが最初の統一王国を形成した後アケメネス朝ペルシアが台頭し,両勢力はペルシア戦争(前500〜前449)を行った。その後前4世紀後半マケドニアのアレクサンドロス大王がペルシアを滅ぼしてインダス川に達する大帝国を築き,ギリシア文化とオリエント文化が結びついたヘレニズム文化が生まれた。一方,イタリアに興ったローマは,紀元前後に地中海世界を制覇する大帝国を築き,大陸の東西を結ぶシルク=ロードを通じて中国の漢と交流をもった。4世紀ころ,ユーラシア内陸部の遊牧民族が活発に移動し始め,中国では華北に五胡と呼ばれた異民族が次々と国を建て,ヨーロッパでは,アジア系のフン族の移動に伴ってゲルマン人やスラブ人の大移動が起こった。ローマは,このようななかで東西に分裂し(395),西ローマはゲルマン人に滅ぼされた(476)。7世紀には,アラビア半島で興ったイスラーム勢力が,中央アジアから北アフリカ・イベリア半島に至るイスラーム帝国を築き,8世紀には中国の唐とタラス河畔の戦い(751)を行った一方,商業活動や文化の伝播・交流が極めて盛んとなった。このころ唐の僧玄奘(げんじょう)や義浄(ぎじょう)は,仏典を求めてインドに赴き『大唐西域記』や『南海寄帰内法伝』の記録を残した。11世紀に,中央アジアのシル川付近から南下してきたトルコ民族が西アジアのイスラーム世界にセルジューク朝(1038〜1157)を建てると,東ローマ皇帝の要請を受けてヨーロッパから聖地イェルサレム奪回をめざす7回にわたる十字軍の遠征が行われた(1096〜1270)。13世紀,モンゴル高原に興ったモンゴル族は,東アジアからヨーロッパに至る空前の大帝国を建てたが,その後各ハン国に分裂した。この時期,モンゴルの広大な領域支配のもとで東西の各文化圏の交流が進み,モンゴルの建てた元に仕えたイタリア商人マルコ=ポーロの著した『東方見聞録』は,アジアに対するヨーロッパ人の興味・関心を高めた。14世紀半ばには,モロッコ生まれのイブン=バットゥータが,アラビア・イラン・インド・ジャワを経て元に到着し『三大陸周遊記』を著した。同じころ,中央アジアではティムール帝国が成立(1370〜1500)したが,創始者ティムールは1405年明への遠征途中に病没した。小アジアでは,オスマン=トルコ(1299〜1922)が興り,東ローマ帝国を滅ぼして(1453)アジア・ヨーロッパにまたがる帝国を築いた。インドでは16世紀にアフガニスタンから侵入してきたムガル帝国(1526〜1858)がイスラーム政権を樹立した。一方ヨーロッパでは,ルネサンス・宗教改革・大航海時代を経て近代国家が成立し,16世紀ころからスペイン・ポルトガルがアジアへ進出し,やがてオランダ・イギリス・フランスが勢力を伸ばしアジア諸地域を植民地化していった。近代化を遂げたヨーロッパはこのころからアジアに対して政治的・経済的に圧倒的優位に立ち,第二次世界大戦後の植民地独立までアジアの諸地域を支配し続けた。北方では,ロシアがヨーロッパからアジアへ勢力を伸ばしていった。第二次世界大戦後現在に至るユーラシアは,政治・経済・社会体制の点から三つに分けられる。西部の西ヨーロッパは資本主義圏,東ヨーロッパからソ連・中国・インドシナにかけての北部・東部は社会主義圏,東南アジア・南アジア・西アジアの南部は発展途上地域に属する。ユーラシアには現代世界の縮図である三つの世界が併存し対峙しながらもさまざまな交流が行われている。
【東西文化の交流】王朝の興亡や民族の移動に伴い,ユーラシアでは東西間の文物交流が活発に行われた時期がある。前4世紀のアレクサンドロスの遠征後,ギリシア文化とオリエント文化が融合したヘレニズム文化が生まれ,西北インドのガンダーラの仏教美術やヘレニズム=ローマ文化のように,東西双方に大きな影響を及ぼした。近代以前の東西交通路としては,草原の道・絹の道(シルク=ロード)・海上の道があり東西交流上大きな役割を果たした。草原の道は,北方のステップ地域を結び,スキタイ青銅文化がこの道を通じて東に伝わり,遊牧民族移動の通路ともなった。19世紀にドイツのリヒトホーフェンが最初に使用してから一般に用いられるようになったシルク=ロードは,前漢の張騫(ちょうけん)の西域派遣(前2世紀)以来開拓され,漢・唐・パルティア・イスラーム帝国の発展に伴い最も重要な交通路として大きな役割を果たした。唐の都長安にはインド・ペルシア・ヨーロッパなど西方系の宗教・文化が伝わり,751年タラス河畔の戦いでは,紙の製法が唐からイスラームへ伝わった。海の道は季節風貿易の形で古くから開かれ,後世になるほどその役割は大きくなった。8世紀以降イスラーム帝国の勢力拡張に伴い,ムスリム商人が大陸と海路による東西貿易で活躍し,イスラーム教の伝播とともに東西文化の交流も進んだ。イスラームの発達した自然科学や技術・文化は,その後のヨーロッパのルネサンスや近代化に大きな影響を与えた。15世紀末バスコ=ダ=ガマによってインド航路が開拓されると,アジア東部・南部はヨーロッパと直接結びつくようになり,東西貿易に大きな変化をもたらした。16・17世紀にかけて,イギリスやオランダが東インド会社を設立し,アジアにおけるヨーロッパの植民地争奪が始まるとヨーロッパはアジアを政治的・経済的・文化的に支配することになり,ヨーロッパ文化がユーラシア一帯に広まった。現代のユーラシアは,なおヨーロッパの文化の影響が強いが,アジアの伝統的な文化や独自の文化の影響も見られ交流は一段と進んでいる。
〔参考文献〕伊藤仙太郎『東西文化の交流』1969,清水弘文堂
井上靖他 NHK 取材班『シルクロード』全12巻,1979〜1984,日本放送出版協会
色川大吉『ユーラシア大陸思索行』1976,中央公論社