●ユダヤ人 ユダヤじん
AD
ユダヤ人という名称は元来〈ユダの者たち〉という意味であった。イスラエル史の王国時代,北王国イスラエルは紀元前722年に滅亡し,南王国ユダが伝統的信仰と民族性を保持する唯一の立場となった。このユダも前586年にバビロニアに滅され,社会の指導層はバビロンに連行(バビロン捕囚)されたが,このころから〈ユダの者たち〉という表現が用いられるようになり,その後民族の名称となった。【ユダヤ人は人種名か】ユダヤ人とは自然人類学的表現ではないと言われる。ユダヤ人自身の伝統的規定によれば,ユダヤ人であるための要件は(1)ユダヤ人の母から生まれた者,(2)正式な手続きを経てユダヤ教に改宗した者である。したがって血縁的要件の他に文化的要件によってユダヤ人になる道が開かれていることになる。ユダヤ人はバビロン捕因後現代に至るまで,つねに祖国の地を離れて世界中に散在して生きてきた。居住地の支配民族とその文化とにいやおうなく接触しこれらを受け入れてきた。その結果現在のユダヤ人に見るごとく,形質的に見て彼らは決して単一人種ではなく,さまざまな混血の痕を示すものになっている。上述の規定はユダヤ人自身の自己規定である。この内容が彼らを取り巻く社会の認識と一致するとは限らない。たとえば,ナチが主張した〈ユダヤ人の血をもつ者はすべてユダヤ人〉という考え方は上の規定を全く無視している。ここでは両親のどちらであろうが祖父母のいずれかであろうと問題外である。また正式の改宗手続きについて,正統派・保守派・改革派は見解を異にしている。改革派への改宗者は正統派・保守派のユダヤ人にとっては依然として非ユダヤ人である。同じことは正統派と保守派の間にも存在する。このような状況のなかでユダヤ人としてのアイデンティティを生み出しているのは人種ではなく,むしろ歴史的・文化的価値の共有である。元首相ゴルダ=メイアにとって〈ユダヤ人であることは,ありとあらゆる苦しみと拷問を課せられたにもかかわらず,二千年以上も確たるアイデンティティを持ち続けた民族の一員であることを誇りにすること〉(『ゴルダ=メイア回想録』)であった。
【ユダヤ人の人口】世界各地に居住しているユダヤ人の総人口は約1,400万人である。そのうちアメリカ合衆国に約590万,次いでイスラエルに約340万(1984年現在),そしてソ連におそらく250万前後と推測されている。この上位三国に続いてフランス・アルゼンチン・イギリスが50〜40万を数え,残りの70〜80万がその他の世界各地に散在する。日本には約1,000人が定住していると言われる。
【離散と迫害】ユダヤ人が国を失い,異国の地で望郷の念にかられながら生きる離散(ディアスポラ)の歴史は長い。それは早くも紀元前6世紀にさかのぼり,紀元70年のイエルサレムの陥落と第二神殿の喪失は離散の歴史を象徴する出来事であった。1948年にイスラエル国がパレスティナに建国されるまで,彼らは祖国を失ったまま世界の各地で生き続けてきた。異質の文化のなかで少数者として生活を余儀なくされたユダヤ人は,自分たちを取り巻く文化を受け入れつつもこれに同化吸収されることがないように努力した。このような状況に対してとった彼らの態度は二つの側面をもつ。その一つは,離散の運命をあくまで否定し,祖国への帰還とイェルサレムの再建,そして神殿祭儀の復活を希求するものである。紀元1世紀末につくられたとされるシュモネ=エスレの祈りはこの願いを明確に表白し,しかも一日に三度ユダヤ人はこれを唱え続けて現在に至っている。このような態度とは別に,離散という状況を現実的に見すえて,これに積極的に対応することによって生きる道を模索しようとする側面がある。このような態度からタルムードが生み出され,聖書以後のラビ的ユダヤ教が形成されていった。タルムードは口伝律法とその解釈を集大成したものであるが,ユダヤ人の日常生活全領域にわたる行動の指針を提供するもので,これによって生活を整えることによりユダヤ人としての存在を明確に意識させるものである。ユダヤ史家シーセル=ロスがこれを〈持ち運びのできる祖国〉と評したのは至言と言わなければならない(『ユダヤ人の歴史』)。離散の歴史は同時に迫害の歴史でもあった。イスラーム圏に比べてとくにキリスト教圏における迫害と不寛容が顕著である。誕生直後のキリスト教は新興の一宗教として自己の立場を正当化あるいは強化する必要から,ユダヤ教との相違を強調しこれに批判を集中させた傾向がある。ローマの,さらにはヨーロッパの社会がこの宗教を受け入れたとき,〈キリスト殺し〉の通俗的イメージとともにこのような傾向をも受け継いだ。その後,迫害の理由には宗教的なものに社会的な面が加わっていくが,ユダヤ人が自己のアイデンティティを保持して周囲の文化に埋没しないように努力すればするほど,ユダヤ人に対する反感は募った。近代の諸国家においてはユダヤ人の愛国心が疑われ,また失政による不満から国民の心をそらすためにユダヤ人をスケープゴートとすることも稀ではなかった。しかし何といっても迫害の象徴はアウシュヴイッツに代表されるユダヤ人虐殺であろう。ナチスの魔手にかかった犠牲者の数は約600万にのぼり,これは永遠に拭い去ることのできない人類の汚点であると言ってよい。
【アシュケナズィームとセファルディーム】ユダヤ人を分類する最も大きな区別はアシュケナズィームとセファルディームである。ドイツから中欧・東欧そしてソ連在住のユダヤ人は前者に,イベリヤ半島から地中海周辺,そしてオリエント出身のユダヤ人は後者に属する。アシュケナズィー系ユダヤ人は彼らの共通語であるイディッシュ語に根ざす文化を共有し,16世紀以降ポーランドを中心とする東欧は全ユダヤ人に対する指導的役割を担った。一方,セファルディー系ユダヤ人は地域による独自性がかなり強い。11〜15世紀に高度に洗練された文化を生み出したスペイン・ポルトガルのユダヤ人は,1492年の追放後オランダあるいは地中海周辺に移住後もスペイン語の方言とも言える共通語ラディーノを使用し,スペイン系ユダヤ人の文化的要素を色濃く伝えている。これとは別に,彼らを受け入れたオリエント地域の伝統的ユダヤ人社会は,自己の慣習のなかに統合させていったため,先のラディーノ文化圏のユダヤ人とは大きな相違が認められる。また,現在はすべてイスラエルに移住しているが,アラビア半島南部のイェーメン在住ユダヤ人は他のコミュニティとの交流が少なかったことから文化的差異が大きい。アシュケナズィームとセファルディームは中世において前者がキリスト教圏のなかで,後者がイスラーム圏内で,相互にあまり接触をもたないままそれぞれ発展してきた。そのため,礼拝の様式・律法研究の方法・ハラハーの規定・ヘブライ語の発音・音楽の伝統などがかなり異なっているのが現状である。
【19世紀以後の文化的貢献】19世紀に入ってからの,文化のあらゆる分野でのユダヤ人の活躍は目を見張らせるものがある。自然科学においては,パウル=エールリッヒが梅毒に有効な薬物化合物サルヴァルサンを見出して化学療法の先駆となり,A.ヴァッサーマンは梅毒の血清診断法を確立した。同じころ S.フロイトは精神分析学の分野で独自の理論体系を築き,外科手術に際し輸血が安全に行われるようになったのは,1901年の K.ラントシュタイナーによる血液型の発見に負っている。化学の R.ウィルシュテッター,物理学のA.アインシュタインは言うまでもない。芸術の分野では文学においてマルセル=プルースト・フランツ=カフカ・ヴァルター=ベンヤミン・ソール=ベローなど数多いが,それにも増して多彩なのは音楽の世界である。J.オッフェンバッハ・G.マーラー・A.シェーンベルク・G.ガーシュインを作曲家として挙げるならば,ブルノ=ワルター・フリッツ=ライナー・ユージン=オーマンディ・オットー=クレンペラー・レナード=バーンステインは指揮者として活躍,また,J.シゲティ・M.エルマン・J.ハイフェッツ・Y.メニューヒンなどのヴァイオリニスト,A.ルビンスティン・V.ホロヴィッツなどのピアニスト,と枚挙に暇がない。思想家としてキリスト教哲学にも影響を与えた『我と汝』の著者 M.ブーバーも忘れることはできない。しかし,これらは19世紀以降その豊かな才能によって文化的に多大な貢献をしたユダヤ人たちのごく一部であるにすぎないのである。
〔参考文献〕A.ウンターマン,石川耕一郎ほか訳『ユダヤ人−−その信仰と生活』1983,筑摩書房
小林正之『ユダヤ人−−その歴史像を求めて』1977,成甲書房
山下肇『近代ドイツ・ユダヤ精神史研究』1980,有信堂
C.ロス,長谷川真ほか訳『ユダヤ人の歴史』1966,みすず書房
J.P.サルトル,安堂信也訳『ユダヤ人』1956,岩波書店