●幽霊 ゆうれい
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人間の肉体に宿っている霊魂はその肉体から遊離して活動することができるとする観念にもとづいて表現化された怪異・妖怪現象の一形態。「幽霊」は「亡霊」とほぼ同義に用いられており、一般的には、死者が死後に生前の姿でこの世に出没するものとされている。幽霊出現の理由は、多くの場合、生前の恨みによっている。しかし、必ずしもそれに限られているわけではなく、この世に残したあるいは死後に生じたこの世の出来事へのさまざまな想いに導かれて出現する。たとえば、『東海道四谷怪談』のお岩は、自分を毒殺した伊右衛門に対する恨みを晴らすために、『怪談牡丹灯籠』のお露は、恋人の新三郎への深い愛情のために出現している。
柳田国男は、「幽霊」は定められたときに特定の人をめざして出現すると考え、そうではない「妖怪」から区別することを提唱し、池田弥三郎は、この考えを発展させて、“場所に執する霊(念)”を「妖怪」、“人に執する霊”を「幽霊」とすべきだと説いた。しかしながら、古代から現代までの幽霊の性格をみる限りでは、そうした区別だけではとらえきれない多様な性格を示しており、現在では、古代からの死霊観や怨霊観から派生した、なんらかの目的のために--主として恨みのために--、人間の姿で出現した霊を「幽霊」とする、といった程度のゆるやかな定義をしておく方がよいであろう。
こうした定義に従ってその具体例を探してみると、幽霊に相当する霊の出現に関する伝承が古代から現代まで連綿として伝えられていることがわかる。そしてその多くは生前の姿で出現しているのである。たとえば、日本最初の幽霊画とされる『北野天神縁起絵巻』に描かれている、延暦寺座主を夜中に訪問する菅原道真の霊は、生前の服装である衣冠束帯姿であり、『今昔物語集』などにみえる源融の霊や伴善男の霊も生前の姿で出現している。深夜にタクシーを呼び止める幽霊や自殺のあった場所をたまたま訪れた他人の前に出現する自殺者の幽霊も生前の姿である。
ところが、その一方では、幽霊には足がなく、人通りの絶えた丑満刻、白装束姿で、額に烏帽子のようなものをつけ、青ざめた顔をして髪を振り乱して、柳の下から「恨めしやあ」と出現する、という固定化した幽霊像も今日の人々のあいだに定着している。このような幽霊像は、近世の画家や劇作家・芸能家たちがその作品のなかに幽霊を登場させるにあたって、怖ろしさを強調するために民間の事例を踏まえつつ強調したものである。こうした幽霊像は死者のイメージからつくられており、白装束は死装束であり、額につけらている三角の形をした鉢巻は、今でもところによって行われている葬式参列者たちのつける額烏帽子と同じものである。足のない幽霊のイメージも、円山応挙の発案によっているという。したがって、「幽霊」という語が流布したころの幽霊は、この世に深い恨みを残したために死者の霊が冥界に赴かずに棺から出現し、恨みを晴らすため死装束でこの世をさ迷っている霊と考えられていたらしい。幽霊が出没する時刻は夜が多いが、亡くなった時刻と同じ時刻に、死者が生前に愛していた子供や恋人の前に現れたという話もよく聞かれ、出没時刻に決まりがあるとはいえない。また、出現場所や出現する相手にも決まった約束はないが、現代の幽霊は自殺した場所や殺された場所に出現する傾向が強く、このため、その場所を訪れた、生前幽霊となんの関係ももたなかった他人の前に出現するという奇妙な特徴が認められる。これは、科学文明の発達によって、現代の幽霊が、時空を超えて特定の人の前に出現した昔の幽霊のような能力を失い、活動領域も限定されてしまったことを意味しているのだろう。幽霊の出現を防ぐためには、昔から、宗教的専門家による怨霊鎮め儀礼を行うのがよいとされてきた。
〔参考文献〕柳田国男「妖怪談義」
池田弥三郎『日本の幽霊』
今野圓輔『日本怪談集(幽霊篇)』
小松和彦「魔と妖怪」