●郵便切手 ゆうびんきって
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【郵便のはじまり】国家の重要な文書の逓送は,およそ今から4,000年前ギリシアで始まったといわれ,王侯貴族間で行われたのが始まりで,馬・走者がリレーして行っていた。のちには郵便馬車での運搬が一般的になり,逓送を必要とする王侯貴族や大手商人たちが常時安価で運べるように考えついたのが,トルン=タキシス家であった。オーストリアのマキシミリアン皇帝は彼の帝国の首都とすべての遠隔の地域とのあいだに,恒久的に信頼できる通信手段が必要と考えていた。このとき,トリアニと呼ばれるイタリアの貴族フランチェスコ=デ=タッシスは,ウィーンからオランダまでの皇帝の手紙の運搬を無料で世話しようと申し出た。その代わりにこの事業を自分自身と後継者が独占的に継続できる権利を与えてほしいと希望した。しばらくは許可にならなかったが,1505年,郵便路線が許可され,翌年の1月18日に開設された。皇帝勅許が与えられたのは1516年であった。最初のルートは,ウィーン−ブリュッセル間で,のちにブリュッセルからフランスやスペイン・ミラノ・ベニス・ローマへと延長され旧ドイツの各都市と結ばれるようになった。主要点には駅を置き,管理者は馬を用意して責任をもたねばならなかった。フランチェスコ=デ=タッシスの郵便事業はのちにその子孫の,トルン=タキシスという名前のもとに行われるようになった。タキシス家の組織郵便事業区域は,6万5,000平方kmと400万人の人口を受けもつにいたったが,やがてプロシアが最後に残った。タキシス家の権利を買い取り360年つづいたこの組織もついに消滅してしまった。中国,旧朝鮮でも馬車による運搬が上層部のみで行われ,わが国では奈良朝時代から同様の制度が始まった。馬に駅鈴をつけて走りその音で夜でも開門するありさまは,1976〜80年(昭和51〜55)に販売されたハガキの価額印刷部分の図案になっている。【郵便制度の一般化と切手】一般人むきの郵便制度としては,イギリスのローランド=ヒル(1795〜1879)が郵便用の切手を考えたのが最初である。ヒルはイングランドで生まれ,1833年までは教師をしており数学・統計学に強かったといわれている。料金は1ペニー(黒色)と2ペンス(青色)とし両切手ともにヴィクトリア女王を描き,紙に王冠を図柄とした透かしを入れて,ノーザンプトン州ハーデングストンのステーシー=ワイズにつくらせた。その後各国でもこれに準じたものが大半を占めるようになった。ワイズの切手は1シートの大きさが,1ペニーの12枚つづり,(1シリング)と20枚つづり(1ポンド)だったので非常に大きく,また目打ちが施されておらず,ハサミで必要な分を切り取らねばならなかった。最初の発売は1840年5月6日(2ペンス切手は5月8日)で裏糊も施され凹版印刷で品質は良好であった。消印は切手のできる以前に使用されていたマルレディ封筒に使用したのと同じマルタ消印で,1ペニーが黒色だったため2ペンスとも赤い消印を使用した。翌年には1ペニー・2ペンスとも切手の下部に白線が入ったのと2ペンスが赤色となったため黒色のマルタ消印を使用しはじめた。目打ちが施されたのは1854年からである。なおイギリスでは切手に代々の女王・国王の肖像を入れていることと,第1発行国の誇りからいまだに国名が入っていない。第2番目の切手として有名なのはスイスのチューリッヒ地方切手のタラッペンとラッペンの切手で,最初の切手には,切手の表面にきわめて細い赤い線が入れられている。1843年につくられ,無目打ちである。つづいてジュネーヴ・バーゼルからも地方切手が発行された。米国では1847年7月1日,5セント切手には,ベンジャミン=フランクリンを図柄とした赤茶色の切手が,10セントにはジョージ=ワシントンを図柄とした青味がかった黒色の切手が発行された。ともに透かしなしで無目打ち,糊なしであった。第3番目に出現したのは,地方切手ではあったがスイスで,ジュネーヴから2枚連接の10セントの黄緑色の切手が,バーゼルからは1845年に無目打ちで鳩を図柄とした切手が発行されている。1843年に南米のブラジルで,やや大きい牛の目玉のような形をした切手がつくられた。横長の楕円のなかに,切手の値段である30r・60r・90r の3種の数字が入っている。大きさも牛の目玉ほどであるので,牛の目玉に見えるところから俗に「牛の目玉切手」と呼ばれている。フランス・ベルギーではともに1849年から,つづいてスペイン,オーストリアのニューサウス=ウェルズ,ドイツ統一国家のできる前のバイエルン(ババリア)などから発行されて,だいたい1870年ごろまでには出揃った。イギリスの属領では比較的早くから発行された。ロシアでは1857年につくられたのが最初である。カナダでの最初の切手は,ビーバーを図柄とする1セントの無目打ち透かしなしの切手である。その後,各国ともしだいに図案は動植物・鉱物・風景・有名人・名画と多様になり1色刷りから2色刷りに,さらに多色刷りへと移っていった。
【日本における切手発行】さて日本では従来の飛脚便は一般人を対象としなかったので,庶民間に明治初年,外遊から渋沢栄一がもち帰ったフランスの不足税切手を見本として切手をとり入れることにした。まず明治維新政府は駅逓司を設け,1870年(明治3)5月10日,租税権正(ごんのかみ)であった前島密は駅逓権正を兼任することになった。当時政府の飛脚屋への支払いは,月約1,500両にも達していた。切手なら1日300通として1通あたり1貫400文(14銭)で十分収支がみあうはずである。前島は新式郵便見学のためアメリカをへてイギリスへ渡った。外遊にあたって駅逓権正の兼任は免じられ,後任には杉浦譲が就任した。切手は前島案では100文,200文,300文の3種であった。当時は1文銭96個で100文に通用していた(九六の制)ので一部改訂され,100文は96文に,その半分の50文は48文となった。切手製造は大蔵省が担当することになり,48文,100文,200文,500文の4種とし距離によって料金を変え,製造にあたっては政府発行の紙幣製造の銅版師,松田敦朝(玄玄堂)に命じた。前島密は図柄のふちどりに梅花を考えていたが,紙幣と同じく双竜が用いられ,ここにいわゆる竜切手が1871年(明治4)1月24日,太政官から布告され同年3月1日(太陰暦)発行された。太陽暦に直すと4月20日となりこれが郵政記念日となっている。切手を刷るための手彫用紙は最初3種あった。竜文の切手の用紙はのちの桜切手ともにどれもみな強靱な三椏和紙で,他の切手用には半透明無地の大麻紙,脆弱であるがワラ紙も使われた。1シートの構成はタテ5枚ヨコ8枚の40枚でやや小型なので,外国に数多く輸出され,完全に近いシートがかなり残っている。第1便は東京を午後4時,大阪を午後2時に出発した。上り便は75時間半で夕刻に東京に着いた。翌日の第2便は76時間で,予定の78制限時間内で,見事に達成された。翌年から駅逓の数はしだいに増し,札幌にも開設された。料金は48文は半銭に,100文は1銭に200文は2銭に500文は5銭に,それぞれ改訂された。海外との交換は日本では少しおくれて1875年(明治8)1月,外国郵便用切手として烏切手を発行したのを最初とする。1877年(明治10),万国郵便連合に加盟し連盟に加入している国へは日本切手を貼ってどこへでも出せるようになった。中国ではアヘン戦争後各国の租借地で各本国切手に支那と加刷して使用した。
さて,わが国には前島密らによる明治新政府の郵政とは別に独自の制度が土佐(高知県)にあった。郵便物の逓送法で「村送り」の制度という。専用の切手が1872年(明治5)から約2年間使用された。銅版印刷で黒の1色刷り,目打ちなし,糊なしで寸法は24mm ×16mmであった。和紙製で中央に輪廓をつくり,距離によって区分された。3里巳下,6里巳下,9里巳下,12里巳下,15里巳下,16里以上の8種があり,公用に限られ,昼夜にかかわらず送られた。16里以上用は,薄い赤色の切手であった。「巳下」とは〜里以下の意である。紙を透かしてみると横に13本の線の透かしが,入っている。薄紅色の封筒にスタンプのみ押印したものもある。
【使用目的による区分】切手は使用の目的によって,国によって以下の区分がある。普通切手,新聞切手,速達切手,記念切手,航空切手,気送管送達切手,締切時間後の特別受付料金用切手(パナマ,コロンビア)新聞印刷物特別扱切手(1916年オーストリア王国),日曜不配達切手,書留切手,航空切手,配達証明用切手,保険扱切手,本人渡し切手,小包切手,小包特別扱切手,付加金付切手,付加金付航空切手,強制付加金切手,戦時税切手,新聞税切手,不足税切手,強制付加金不足税切手,小包不足税切手,官用切手,官用航空切手,軍事郵便切手,無料交付郵便切手,また変わった形の切手としては両端に目打ちのないコイル切手(ロール切手ともいう),切手帳,無目打ち(最初から記念用につくったもの)切手などがある。また,電子郵便用郵便切手など時節にあった新しい切手が増える一方,使用数の少ないものは自然になくなってゆく。
【形状・材料】次に切手の形状をみると最初は正方形に近い長方形であった。短冊状のものや,トルコの一部で発行された8角形をした軍事切手,切手不足のため1枚を斜めに切って同一価格を加刷したバイセクトスタンプ(半片切手)など種々ある。切手を交互に逆にしてつくったテート=ベーシュはフランス,スイスに多い。記念用に一般用より小型につくり,1枚または2枚,3枚ときには20枚つづりにして保存する小型シート(スーベニア−シート)も多い。紙質もはじめは単なる木材パルプ質であったが,これに発光物質を混ぜて機械にかけて選別する発光切手が,一時イギリスで使われ,わが国でも大宮郵便局で試験的に行ったが,うまくいかず中止してしまった。パルプ質の原料以外には,1958年,ポーランドで郵政発足400年記念に絹布に郵便馬車を青色で印刷し1枚の記念シートとして発行した。1963年には東ドイツでデデロという繊維(日本のテトロンのようなもの)に織機と工場を描いた風景切手を1枚のシートにして,発売した。1958年にはハンガリーで最初のアルミニューム工場の上空を飛行機がとんでいる風景画を,アルミ箔に,印刷した切手がつくられた。つづいてソ連で1961年にロケットの成功記念にロケットを図柄とする横長のアルミニューム切手を発行した。トンガ王国では円形で中央は金箔,周辺は赤,青,緑にした切手を1963年に発行した。ブータンでも同様のものを1966年に発行している。その前年アフリカのブルンジでも国王の肖像や紋様を中央に金箔で,周囲に別な2色を使った3色刷り切手を発行した。このほかにも発行した国があるが省略する。純金を使ったのは次の2国だけである。1965年,シュバイツァー博士(1875〜1965)の弔意記念に出したガボンと,そののちオリンピック記念として金0.6grを使って発行したイェメンである。シェラレオネでは1964年,国の形につくった切手を台紙に粘着し,はがして封筒やハガキに貼れるような切手をつくった。1967年,トンガ王国では白金族のパラジュームを用いた円形切手を出している。また銀箔切手を1965年発行している。ブータンは鋼鉄に風景・熔鉱炉などを描いた切手を発行した。同じくブータンでは1973年に塩化ビニール樹脂を用いフォークソングを吹き込んだソノシート切手を大小7種発行している。7種のうち小の5種は直径6.8cm,大型の方は直径が10cmもある。立体切手としては,ブータンで1969年11月3日にオリンピック記念に出したものがありアメリカの宇宙飛行士の月面着陸,飛行中の姿などが描かれている。またブータンには紙に凹凸をつけて実際の立体感を出した立体切手もある。1982年,ガボン独立35年記念に樹皮に印刷したシートがつくられた。ジプチでも1983年,樹皮を使った記念小型シートを発行している。モザンビークでは切手の下部の国名を印刷した部分の上に,横に細長く樹皮を貼り,その上部に樹木を描いた切手が1984年に発行された。
【インフレと切手】第一次世界大戦後のドイツでは1マルク=100ぺニヒ(当時の日本円の1円に同じ)であったが,1923年にはインフレで手紙1通分の切手代が500億マルクまではね上がった。朝花見に汽車で出かけたところ帰りには汽車賃が3倍に上がってしまって帰れなかったという笑い話がある。第二次世界大戦ではハンガリーで,1マジャール(=100フィラー)の切手の価格が最高億兆単位まで達した。日中戦争でも中国切手は当時の日本円にして100万円台まであがった。
【珍しい切手】統一ドイツ帝国(プロシア)で高額切手の偽造防止上,当時金箔師が金箔をつくる際に使った羊の腸皮の裏側に,10sgと30sgの文字を印刷し比較的油の多い表面に糊づけして切手として売り出したことがある。消印がうまくのらないので2年ほどでやめたが,これが唯一の革製切手である。未使用品よりきれいな消印のあるものの方が少ないため価格は使用済みの方がはるかに高く,未使用品の数十倍以上もする。南米のブリティッシュ=ギアナ(イギリス領ギアナ)に,切手を少し集めている少年がいた。本国の新しい切手をみて,少年は伯父に頼んで数百枚の綺麗な切手と取り換えてもらった。少年のもっていた切手のなかにうす汚れていてどこの切手かだれにもわからない切手があった。人から人へとわたってのちに有名なウッドワードの手に入ってようやくその素性が判明した。暴風と波浪で船がストップし本国から切手が届かず,郵便局のストックもなくなったとき,臨時処置として現地の紙を用い,帆船を描いて局長の署名をした1セント切手であった。同類の切手はどこからもみつからず,ウッドワードの手から転々と移り,さらに某婦人の手をへて,現在,イングランド銀行に保管されている。売価も今では,100万ポンド以上といわれている。1847年9月30日にモーリシャス島の総督がパーティーを開くため100通の案内状をセイロンやボンベイや遠くロンドンの貴夫人たちに送った。そのためにわざわざ手彫りで版をつくった切手は左側に Post=Paid と印刷すべきところを Post=office と誤って印刷し,右側にたてに MAURITIUS と入れてしまった。招待状は島のすみずみまでヴィクトリア女王の肖像を図柄としたこの切手を運んで行った。郵便局には何枚かの切手が残っていたが,次の便船でヨーロッパやインドに送られた。残念なことにこの切手を1枚だけ貼った招待状は今日1枚も残っていない。日本では切手商の金井スタンプが1セントと2セント2枚貼りのものを落札しただけである。
【中国の切手】中国は1882年(光緒8),朝鮮は1884年と最初の発行年は比較的新しい。中国では発行者が国民党と共産党に分かれており,とくに共産党ができた初期の1929年(民国18)から1931年(民国20)ごろのものはきわめて少なく,中には1枚しか残存していないものがある。満州国で,1945年(康徳12),飛行機購入のため寄付金3%に47%の寄付,6%に44%の寄付金付切手を用意したが発行がしだいにおくれ9月1日発行の予定のところ,その前に終戦を迎えたため未発行のままに終わった切手がある。進註してきたソ連軍にその一部が持ち出され,逆輸入されて1組24万円で売り出されたことがある。日満両語で書かれているので,1組4種となっている。満州国は1932年(大同1)7月26日,第1次切手を発行したのみであった。日本の敗戦後,中華民国の郵政を管掌する上海総局では各局(約500余)の在庫切手を無駄にしないように8月20日付で各局に残存する旧満州国の切手,一部の日本(関東州)切手の使用を許したが,日本の領土であることを否認する目的で地域により,中華民国,中華郵政,東北暫用,遼寧,牡丹江,中華民国石頭河,中華東北郵政など活版などのゴム印を押したものに限るむね,各地方へ連絡した。中華民国の本国切手(孫文や烈士を図柄とした切手)に「限東北貼用」と加刷した切手が到着するまで,大きい局を除いては,1946年(民国35)3月まで臨時処置として使用を認めたのである。大きな局のうち在庫の多い局ではその翌年,勝利記念,魯迅逝世10周年などの記念切手として使用された。1946年夏ごろには正式の「中華民国郵政限東北貼用」の切手18種が発行されたがこのころはインフレがひどかったにもかかわらず,本国切手に額面をあわせたため,この切手は一時的なものとなり,インフレで10万元,100万元へと高額切手に変わっていった。切手の価値は所有者の立場と切手の保存状態,現存数などの諸条件で決まるもので,ときにはわざと変色させ,高価にしてオークションに出されることもある。中国の切手は一般に赤色政権の初期のものはきわめて少なく高価である。最近の中国では切手(郵票)収集熱が高く,偽造切手が多量に出回っているという。
【偽造切手】今は故人となったが,その昔,フランスの印刷局につとめ,途中で退職して世界の珍品を専門に偽造していたスペラッティという人があった。彼はどんな紙質,色調,模様のものでも,つくってみせると豪語していた。しかし彼は芸術品としてつくっていたので,必ず切手の裏に紙をいためぬよう鉛筆で署名していた。本物そっくりにできていたため切手商のなかには,鉛筆の署名を消して売り出す者があった。困った切手商たちは金を出しあってスペラッティに渡し,老後はスイスで自活し,偽造をしないという約束をとりつけた。一時はそれでおさまったがしばらくたつとまた出はじめた。収集界ではたいへん困ったがのち数年でスペラッティは他界してしまった。現在では印刷が精巧なので高額切手の偽造・模造品は数多く出まわっている。よほど注意しない限りわからない。しかし低額の切手は儲けがないのでまず偽造されていないと思ってよい。なお,通常切手の印刷方式は手彫り切手を除けば,一般に機械を使った銅版印刷が多い。凸版,凹版,平板(オフセットが多い)。凹版にはグラビア,1枚の実用版でつくるザンメル方式,浮き出し印刷も含まれる。
【大きさと発行枚数】小型の切手としては,1856年に北ドイツ連邦にあった大公国のメクレンブルグ=シュベリンから発行された1シリング切手がある。4分割して4分の1の部分をそれぞれ独立した切手として別々に使うことができた。この4分割部分の寸法は,9mm ×9mm である。1857年,同じくドイツのブラウンシュワイクでつくられた4分割切手はこれより少し大きい。11.5mm ×11.5mm である。これらは,実用的でないのでのちに廃止された。大きい切手としては,ソ連で発行された,ヨコ148mm×タテ70mm の宇宙飛行士4名の肖像を図柄とした切手がある。横長の切手では,1961年ポーランドで発行された,細長いタンカーを図柄とする5.6ズロッティの切手がある。タテ26mm ×ヨコ107mm と実際使用には困る大きさであった。 最も数の少ない切手。第二次世界大戦のとき,チェコスロヴァキアに侵入したドイツ軍は,チェコスロヴァキアのカルパートとウクライナ地域を独立させるべく策していた。その地域に流通させるための切手を1種類だけ用意していた。侵入を待っていたカルパート,ウクライナでは,侵入しないうちにその切手の一部を貼って送り出しはじめた。その後フストからも切手を貼ってその一部を発送した。3日間でカルパート,ウクライナは陥落したが,ドイツ側の方針変更により大ドイツ国の一部に併合されてしまった。使用済みのフストの消印のあるものはきわめて少なく高価である。
最も種類の多い切手に,イギリスのブラックペニーがある。印刷用に11種の実用版があって,切手の下部の両端にA,B,C,D……と文字が入っている。種類が多いため完全な240枚のシートは1枚も残っていない。ブラックペニーの43枚近くのものと2ペニーの12枚ブロックが現存する最大で,すべてエリザベス女王所蔵品である。
【日本の珍切手】遠方へ短時日に輸送するためには,航空便の利用がほとんどとなって航空便が一般化してしまった。かえって船便のバクボーの消印,鉄道郵便車による鉄道便のスタンプの方が珍しくなってきた。1874年(明治7)1月,イギリスの切手の図柄部分の端に記入されているアルファベットの文字をまねて,「イ」から「ム」までの和紙製かな入りの切手を発行した。のちに洋紙となりこれもカナ入りで印刷された。ウッドワードは和紙製6銭の切手は世界に6枚しかないと述べている。「桜6銭紫褐色日本紙」の未使用品も珍品とされるがこのうち「ハ」,「ト」は,1枚しか現存しないといわれている。関東大震災および第二次世界大戦で焼けたため登録されていないので実数は不明である。竜1銭切手で正式には「濃青緑色第2版日本紙」と分類される切手のなかに,刷色変種と呼ばれる誤作切手もある。このうち,今まで発見されたものは2枚にすぎない。竜切手は手刻りのため1枚1枚少しずつ違っており,竜の爪が欠けたり変化が多い。竜切手専門に研究している人も多い。1973年(昭和48),アメリカで,竜500文の逆刷り切手がみつかった。周辺の竜に対し中央の文字の部分が反対むきの逆刷りになっている切手で,この1枚しか現存しない。今は石川良並の所有品となっている。烏切手では右側の「十五銭」の十が落ちているためその部分に黒で「書十」(十と書いたという意)と入れた珍品もある。半銭切手では半の左側の上部が欠け文字がキになった「キ半銭」として有名な珍品があるが,一部には,わざと上部を削りおとした偽物も出まわっている。1923年(大正12)11月,現在の裕仁天皇結婚の記念切手発行を予定していたところ,9月1日の関東大震災で印刷局にあった記念切手はもちろん,原版も全部焼失したので発行中止になった。ところが震災の数日前,船便でわが南洋群島のパラオ島あてに数百枚だけ先送りした分があることがわかり,翌年式典が挙行された際,皇族・大臣・陸海軍大将にパラオのスタンプを押して,結婚当日に,贈呈した切手が現存する。しかしハガキ用の8銭切手はきわめて少なく,未使用切手は1組で,200万円以上の値がついている。
【切手と国家】かつて北極海にあるノルウェー海軍の根拠地(不凍港)の近くにソ連が無断で潜水船根拠地をつくってしまったという事件があった。アイスランドの南にあるデンマーク領のフェロー諸島では,ソ連による基地化を恐れ,1940年より切手を発行しはじめた。バルチック海にあるフィンランド領の諸島は,ソ連の潜水船にその無人地域を利用されるため,1984年独立を宣言し,オーランドALAND の独立切手を発行した。西部オーストラリアのインド洋岸にあるキーリング KEELING 諸島(切手にはココス COCOS)では独自の切手を使用していたが1984年の秋から,オーストラリアの切手を使用することになった。従来は西海岸のノーザンプトンでココスの切手を貼り,ココス国の飛行場から諸島各所へ配達していた。1970年,国連は世田谷区と同じ面積しかない小公国であるハットリバー=ピロビンス国に対し,国内だけに限り公国発行の切手使用を認めた。
【額面価格】現在使用中の高額切手は,ベルギーの1,000フラン(3,870円)アメリカの9.35ドル(2,280円),韓国5,000ウォン(1,450円),オーストラリアの10オーストラリアドル(2,030円),カナダの5ドル(920円),中国の5元(600円),スペインの500ペセタ(720円),オランダの9.48ギルダー(720円),イギリスの4.72ポンド(1,530円)などいずれも1983年現在の価格である。
以上郵便切手の概略について説明したが,ハガキ,メータースタンプについてはテーマの関係上省略した。世界の切手発行種数の合計はスコットのカタログでは20数万枚となっているが,加刷,添刷,地方切手,臨時切手を入れると100万種に近い。
〔参考文献〕『日本切手百科事典』1974,日本郵趣協会
『図解切手収集百科事典』