●結 ゆい
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結う・結ぶ・結合・共同を意味する語であるが,手間換(てまかえ)・手間借(てまかり)ともいわれるように,日本の農山漁村社会にみられる労働力交換による協同労働である。ある時間の労力の提供に対しては,同じ時間の労力をお返しするのがしきたりであり,そのさい,労働力の等価ということはたいして問題でなく,労力の大小・強弱は問われないが,金銭や品物などでは相殺できないことになっている。漁業では,漁船のあげおろしや,用具調達の資金を得るための頼母子無尽などがユイの一種として行われる程度である。地引網漁労のような生産手段の共同による集団的労働を意味するモヤイや,一方的に労働力を提供する片務的労働であるテツダイとは,いちおう区別されている。ユイの慣行は広く全国にわたって行われていて,その呼称も多様である。ユイあるいはその転訛であるヨイ・ユー・イイ・ユエ・イユ・エエ・エイッコ・ヨイコなどの呼名が一般的であり,ヨイドリ・ヨイゲーシ・イイドリ・イイモドシなどといわれている。そのほかテマガエ・テマガシ・テマガエシなども広く分布している。組織の大小や存続年限の相違によって観念上に多少の違いがあるが,交換労働であることは共通する。田植などの場合,一定範囲の人々が一つの労働組織を結成し,順次,組織内の仲間の田を集団的に植えていく形が一般的である。そのさい,田植面積の広狭はあまり問題にされない。したがって厳密な意味の交換労働ではなく,協同労働の一種とみるほうが妥当であろう。部落全体として行っている所では,一定年齢(だいたい17〜18歳)以上の男女は全員出動し,抽選順で各戸の田に植えていく。かつては,部落の有力な大経営者の田植えを最初にする形もみられた。この形は親方百姓の大手作にみられるヤトイ,テマなどといわれる賦役労働に通じるものである。江戸時代では,地主の大手作の形が広く存在していたことは知られている。中世の名主的地主の手作経営のもとでは,親方百姓の統制下で共同労働が営まれ,それが解体して独立した子方百姓の請作ないしは自作の小農経営が一般化するに従って,片務的な労働である大手作と小農相互間の等量的な交換労働であるユイとに分化したと考えられるのである。また,各地に残されている大田植の風習などを併せ考えると,ユイの慣行が古い村落共同体の共同労働にその源を発していることは容易に想像される。ユイが懇意な仲間同士で行われる場合は,組は1年ごとに再編成されるのがふつうで,出動人員や日数なども平均化され,不均衡のときには当日の食事に酒肴をそえたり,収穫物を贈るという方法がとられることもある。農作業におけるユイは田植えが最も一般的であるが,除草,刈入れ,脱穀などでも行われた。農作業以外では屋根の葺きかえでのユイがある。材料の関係上山村で多く見られるが,部落全体として行われることが多い。共有山で刈り出すカヤ・括り縄など,各戸の分担量が定められ,葺きかえ当日は部落総出で作業をする。カヤ屋根は25年から40年はもつので,この労力交換は長い年限を要することになる。味噌煮,干柿の皮むき,機織などでもユイが行われ,民間金融の頼母子などもユイの一種と考えられる。また,若者組とか娘同士・年寄同士という年齢階級によって,ユイ仲間がつくられることもみられる。しかし,一方では,親類同士が農作業全般にわたって協同する慣行も全国で行われており,また,結納など婚姻関係を表すのにユイという語を用いることなどから,ユイは本来は族縁関係で生まれた協同労働であり,それが拡張されて,地縁的な交換労働になったと解する説もある。こうしたユイも,貨幣経済が浸透し村落の封鎖性がくずれるとともに,しだいにすたれ,とくに第二次世界大戦後の農地改革,その後の高度成長経済期以後は,雇用労働による家族労働力補充の傾向が一般化し,他方では農業技術の進展に伴って,農作業の体系も大きく変貌したため,しだいに消滅しつつある。