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●仰韶文化 ヤンシャオぶんか

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 黄河流域に発達した中国の新石器時代早期の文化。主として陝西省,河南省,山西省南部,河北省南部に分布し,甘粛・青海両省の境界,河套地区,河北省北部,湖北省西北部に及んでいる。1921年,スウェーデンの J.G.アンダーソンが河南省ベン※注1※池県仰韶で彩陶を発掘したことから,仰韶文化と呼ばれている。その後各地の発掘と調査研究が進展し,最近の中国では,黄河中流域の仰韶文化を3地区に大別し,各地区にそれぞれ類型を設定している。

【陝西・河南西部・山西南部地区】この地区は仰韶文化分布の中心区で主要な3類型がある。[1]半坡(ぱ)類型は,陝西省西安市半坡,臨潼県姜(きょう)寨などを主要遺跡とし,甘粛省・湖北省にも及んでおり,年代はほぼ紀元前4800年から紀元前3600年にあたる。[2]廟(びょう)底溝類型は,河南省陝県廟底溝遺跡下層文化を標準とし,半坡類型よりも広く分布し,年代はほぼ前3900年から前3000年にあたる。[3]西王村類型は,山西省西王村遺跡上層文化を標準とし,山西省西南の汾(ふん)水・ソク※注2※水流域,陝西省の渭(い)河流域に分布し,年代はほぼ前3700年から前2700年にあたる。

【洛陽・鄭州地区】この地区には,二つの典型的遺跡がある。(1)王湾遺跡は,河南省洛陽市にあり,遺跡文化層の3期は河南竜山文化に属し,1期は仰韶文化に属する。2期は両者の過渡的性格をもつが,その早期は仰韶文化に属する。(2)大河村遺跡は,河南省鄭州市にあり,遺跡文化層6期のうち,1期から4期までが仰韶文化に属するが,その3・4期は,王湾2期よりも多く東方の大ブン※注3※口文化と南方の屈家嶺文化の要素を吸収している。両遺跡の文化は,洛陽・鄭州の間とその南部に分布し,年代はほぼ前4000年ごろから前3000年ごろにあたる。

【河南北部・河北南部地区】この地区には,二つの主要な類型がある。(1)後崗類型は,河南省安陽県後崗などを主要遺跡とし,衛・ショウ※注4※両河流域に集中し,河北省北部の洋河・桑干河流域に及んでいる。(2)大司空類型は,河南省安陽県大司空村などを主要遺跡とし,衛・ショウ※注4※両河流域に集中し,後崗類型と交錯している。両類型の年代などはまだ未解決であるが,後崗類型は半坡類型に近く,大司空類型よりも早いといわれている。

 仰韶文化遺跡の主要部分は黄土高原上にあり,少部分が秦嶺山地と華北平原西部縁辺にある。陝西省渭河流域が最も多く,その土丘遺跡は,川からやや離れた泉水近くに多く密集しており,レイ※注5※河中流沿岸の密度はほぼ現代の村落に等しい。各遺跡には住居址・窯址・貯蔵穴・墓地があり,定住生活を営み,長い発展過程があったことが知られる。半坡と姜寨には大きな村落遺跡があり,居住区の周囲に防御的な濠溝をめぐらし,大型家屋または広場を中心に住居を配置し,聚落を形成している。住居には,円形・方形の半地下式,円形・方形の地面式,方形地面連室式があるが,穴居−半穴居−地面単室建築−地面多室建築と発展したようである。なお出土した陶製の家屋や土器上の屋形装飾は,当時の住居の考究に役立つ。半坡遺跡では粟とからし菜または白菜の種子が,陝西省の華県泉護村・ヒン※注6※県下孟(もう)村,洛陽の王湾などの遺跡では粟的遺跡が出土し,また大河村出土の炭化穀物は高梁と鑑定されている。出土した動物の骨から,犬と豚は家畜と確認されたが,羊・牛・鶏・馬は家畜と断定しがたい。農工具には,石器の斧・手斧・鋤・のみ・刀などがあり,打製から磨製ヘ,さらに大型の有孔・有肩の効率的なものへの発達がある。食物加工具には,石製の磨盤(すりばん)・磨棒・杵(きね)などがある。狩猟具には,骨が多く,石鏃・角もあり,次第に精巧になる。ほかに石矛・角矛や大量の石球がある。漁撈具には,骨角製の釣針・やす,石製の網錘がある。また大量の骨錐・骨針・陶紡錘があり,遺物に席や布の痕迹がある。仰韶文化期においては,粟や高梁の農耕が営まれ,野菜栽培・家畜飼育・狩猟・漁撈が行われ,蓆や布などがつくられていたことが知られる。土器は手づくりで,早朝は紅陶が多いが,次第に灰陶が増加し,晩期には鄭州地区では灰陶が,洛陽地区では褐陶・黒陶が多くなる。大司空類型では灰陶が多く,紅陶が少ない。一般に盆・鉢・瓶・壺・罐(かん)・かめ・碗などがあり,釜や豆・鼎も現れ,洛陽・鄭州地区では,ほかに(そう)・杯も現れ,鼎が増加し種々の形となる。平底が多く,円底・三足・圏(けん)足・尖底もあり,袋足はない。器表は無文のほか,縄文・弦文など種々あり,晩期には籃(らん)文・方格文が現れる。彩陶は仰韶文化に顕著なもので,多くは盆・鉢・罐類の外壁上部に彩文を施し,内壁彩文は少ない。早期は黒彩の動物形文を主としたが,中期には白衣の下地に紅彩の条文,渦文,三角渦文,円点文などが現れ,鄭州区では,白衣・黄衣の下地に黒,褐,紅色の単彩または双彩の文様が盛行した。その文様には,洛陽地区出現の×文・∽文・網文をはじめ,六角星形文・古銭文・太陽文・鋸歯文など数多く,また彩陶の数量も多く,黄河中流域における彩陶発展の最盛期であった。しかし晩期には,彩陶がにわかに衰退する。なお陶芸的なものに,鷹形鼎,船形壺,細頸壺,人頭壺や,土器につけた虎や隼形の飾りなどがある。また半坡・姜寨出土の若干の鉢や盆に,種々の符号が刻まれており,原始的文字とみなす人もいる。窯址は村落の近くにあり,堅穴窯と横穴窯の2種である。墓地も村落の近くにあるが,幼児は住居周囲のかめ棺葬であり,女子と幼女の随葬品は多い。仰韶文化期は母系氏族社会といわれているが,晩期は父系氏族社会に入っているという見解もある。

〔参考文献〕中国社会科学院考古研究所編著『新中国的考古発現和研究』1984,文物出版社

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