●夜郎 やろう
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中国漢代の西南夷の一つで,いわゆる「夜郎自大」の語を生んだ。居住地については異説もあるが,貴州・広西・雲南3省の境界一帯とする説が有力である。始祖伝説があり,女子が遯水で身体を洗っていると3節の大竹が足の間に流れてきて,竹を割ってみたところ中から男児を得,それが育てられて夜郎侯になったという。民族系統については明らかでないが,集落をつくって農耕生活をしていた。前135年(建元6)に漢の武帝の命で派遣された唐蒙が夜郎侯多同と会見,使命を果たして帰国した。前111年(元鼎6)に南越・西南夷の反乱が鎮圧されるとともに,夜郎侯は漢に入朝して夜郎王に冊封された。のち,成帝の河平年間(前28〜前25)に夜郎王興が反乱をおこすが陳立に誅殺され,以後夜郎は急速に衰えた。