●耶律大石 やりつたいせき
AD1084
1087〜1143(在位1132〜1143)中央アジアの西遼国の建国者。遼(契丹族)の初代太祖から8世の孫。契丹文字や中国文字に通じ,進士に及第して翰林院(かんりんいん)にすすんだ。1122年(保大2),女真族の金国の軍が遼に進撃し,天祚帝が逃亡したとき,一時は首都燕京(北京)で耶律淳を擁立したが成功せず,天祚帝のもとに投じた。しかし帝を頼むにたらずとみて,遼が金に滅ぼされる直前に外蒙古に逃れてオルホン河畔で王を称して自立した。多くの部衆が集まったが金国の圧力が加わったため,さらに西方へ移動してトルキスタン地方に入り,ウイグル族をおさえて1132年,チュー河畔のベラサグンで即位して延慶と建元した。これが中国の史書にいう西遼(1132〜1211ごろ)の徳宗(天祐皇帝)であるが,イスラームの史書はカラ=キタイ(黒い契丹の意)国・グル=ハンと呼ぶ。彼は西方のホラズム(フワーリズム)国をおさえ,やがて金国遠征を計画したが果たさずして没した。