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●山本五十六 やまもといそろく

アジア 日本 AD1884 明治時代

 1884〜1943(明治17〜昭和18)太平洋戦争開戦時の帝国海軍連合艦隊司令長官。1884年(明治17),新潟県長岡で旧長岡藩士高野貞吉の六男として生まれたが,のちに山本家の養子となった。1904年(明治37),海軍兵学校を卒業。翌年,軍艦日進乗組少尉候補生として日本海海戦に参加,負傷する。1916年(大正5),海軍大学校を卒業。第2艦隊参謀,軍務局第2課をヘて,1919年(大正8)から21年(大正10)まで駐米武官。1924年(大正13),霞ケ浦航空隊教頭兼副長となり,翌1925年(大正14)12月,再び駐米武官。その後,五十鈴・赤城各艦長,ロンドン軍縮会議随員をへて,1930年(昭和5),航空本部技術部長就任。1933年(昭和8),第1航空戦隊司令官,1935年(昭和10),海軍航空本部長に就任し,海軍における航空通の将官であった。1936年(昭和11),米内光政海軍大臣のもとで次官となる。1939年(昭和14),連合艦隊司令長官就任。1940年(昭和15),大将に昇進。1941年(昭和16)12月8日,太平洋戦争開戦に際し,日本海軍は真珠湾を奇襲攻撃,続いて英海軍に対するマレー沖海戦など,緒戦においては勝利をおさめたものの,1942年(昭和17)6月のミッドウェー沖海戦で大敗北を喫し,山本連合艦隊司令長官自身も,1943年(昭和18)4月18日,乗機が暗号解読によって米軍機に待ち伏せされ,ブーゲンビル島ブイン付近上空で撃墜されて戦死した。翌1944年(昭和19)5月,元師府に列せられた。

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