●山人 やまびと
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中古において吉野を住処とし,宮中や大社の祭儀に参加した国栖(くず)人のこと。また,山中に住む異人・妖怪と考えられ,山男・大人(おおひと)・山爺・山父・山童・山女・山姫・山姥・鬼などの異称がある一方,常人のうち誘拐・発狂そのほかの事情で山に入った者をもいい,山人の内実は複雑であり,バリエーションを含んでいる。【祭儀に参加した山人】平安朝の文献にみえる山人は,山から神を招来する呪法によって宮廷儀礼や春日祭・平野祭に参加する特殊な神人・神役であった。神楽歌に〈わぎもこが穴師の山の山人と人も知るべく山蔓(やまかつら)せよ〉とあるように祭儀に臨むときは,山蔓を纏ってストレンジャーを象(かたど)ったらしい。また〈すべ神のみ山の杖を山人の千歳を祈りきれる御杖ぞ〉の歌でも知られるように,その神人は人々を祝福する呪物の杖をもってきた。宮廷儀礼には山人と称する神役が榊を奉ったり,御薪(みかまぎ)を積み上げたりしたという。
【異人・妖怪と考えられた山人】山奥に住んで平地の人々とはあまり交渉をもたずに過ごし,気質や慣習を異にした人々は,平地の人々によって異人視され,やがて妖怪化されていった。はやく柳田国男によって山人は先住民族の末裔であろうという説が提出されたことがある。国津神たるこの末裔の子孫が,二つに分かれて大半は平地に下って常民に混じ,残りは山地にとどまったものと考えられた。山人は丈が高く,髪が長くはあるが形は人のようで,ことばが通じないが,ときとして,これとよしみを結ぶ者があった。津軽は岩木山麓の鬼沢村にある樵があって毎日山に薪伐りに通ううちに鬼と親しくなった。鬼は滅法相撲を好み,樵に取り組みを所望した。相手をしてやると,その夜のうちに山のような薪を樵の家の前に運んでくれるのが常だった。やがて樵は田畑を拓いて農耕することを思い立った。鬼もそれに協力することを約束し,赤倉山の険阻な山腹をうがって堰を開削してくれた。また,開墾にも大鍬をふるって加勢してくれた。やがて稔り豊かな秋を迎えることができたので,鬼をわが家に招待することにした。鬼はひどく女を忌避する風で,その日は樵の妻を家から遠ざけておくように命じた。樵は妻子を遠ざけ,手料理でもてなした。こういうことがたび重なるにつれて,妻は不審を抱いて,ある日物陰に穏れて鬼の姿をかいまみた。それと気づいた鬼は大いに怒り,その場に蓑笠と大鍬をうち捨てたまま飛び出して行き,そのまま姿を現わさなくなった。赤倉山鬼神社は鬼の事蹟を謝せんがために祀り創めたものだという。また,陸中遠野郷青笹の某がある日,六角(ろっこ)牛山に入ってマダの木の皮を剥いでいると,いきなりうしろから呼ぶものがあるので,振り向いてみると2mあまりの大男が立っていて,何のために剥ぐかとたずねた。その用途を説明すると,それならおれも手伝ってやろうといって常人が草を折るような勢いで剥ぎ始めた。たちまち仕事がはかどったので仕事をやめると,大男は傍らの火にあぶっておいた餅を指さしてくれという。某がうなずくと,むさぶるようにみな食ってしまった。そして来年の今ごろもまた来るか,来れば手伝ってやるから餅をもってきてくれという。某は後難をおそれて,もう来ないというと,それでは餅を3升ほど搗いて何日の夜に庭に出しておいてくれといった。某はいわれるままに翌年のその日に餅をわが家の庭に出しておくと,餅と引き替えにおよそ馬に2駄ほどのマダの木の皮をおいていったという。こうした伝説は各地に伝えられている。酒や餅あるいは米の飯を欲しがること,その礼に仕事を手伝ってくれることなど,山男には共通の性格がみられる。また,女を忌むらしいことは山の神の性格が感じられる。その一方には,女をかどわかした話もある。猟師が山中で,かつて行方知れずになった村の女に遇い,山男にさらわれて妻となっている。逃げ帰りたいと思うが少しも隙がない。もはや夫が帰ってこようが,みつかるとどんな目にあわされるかわからぬので早く行けと追い返されたという。山女については黒髪長くあでやかで,宙を行くかとみえるほど足が早いなど,幻想的な伝えが多い。とにかく,山人は市日に姿をみせた,買い物や物請いに里に現われたとかという話が多い。また,山人のもってきた徳利には大量の酒が入ったといい,それらが支払いに用いた銭には不思議な福分があると信じられている。これには古い信仰の名残が感じられる。こうした山人とは別に,かつて常の人であった者で,発狂して山中を放浪したとか,お産の前後にふと山に入ってしまったという女性があったらしい。
〔参考文献〕柳田国男『遠野物語』定本柳田國男集4,1968,筑摩書房
同『山の人生』定本柳田國男集4,1968,筑摩書房