●山名持豊 やまなもちとよ
アジア 日本 AD1404 室町時代
1404〜1473(応永11〜文明5)室町時代の武将・政治家。山名時煕の子,母は山名師巻の娘。名は小次郎,法号は宗全。1432年(永享4),父時煕より家督を受け,但馬・備後・安芸・伊賀の守護職を兼ね,ついで比叡山に山門嗷訴事件がおこると,坂本に囲み,父の死後は山名一門の惣領となり,兄持煕の反乱を鎮圧し,幕府の中央にあっても権威をたかめ宿老として活躍,侍所頭人ともなる。嘉吉の乱には赤松満祐を滅ぼし,播磨を与えられ,一門の教之は備前,教清は美作を与えられ,山名一門は栄えた。その後赤松の反撃をたち,家督を教豊に譲り,剃髪して山名宗全と号したが,その後は細川勝元と結んで畠山と対抗,畠山の家督争いに乗じて斯波家の分裂の間を突いて活動し,1465年(寛正6)には細川派と対決を強め,1467年(応仁1)にはついに応仁の乱へ突入するにいたった。この結果,10余年に及ぶ大乱となり,都は荒廃し1473年(文明5)死没。和歌絵画に長じ,禅を修めた文芸の人でもある。
![]()