●大和朝廷 やまとちょうてい
アジア 日本 AD
畿内大和地方を中心とする政治勢力。4,5世紀ごろその基盤は固まり,7世紀後半の天智・天武朝には律令国家へと移行する。現在では大和政権といわれる場合が多い。大和の政権が畿内の一勢力から脱皮して東国・西国の諸方面に覇を唱えた時期は倭の五王の時代を一応の目安とでき,『記紀』の雄略朝に注意すべきである。6世紀には朝鮮半島諸国との外交上の問題もおこり,政権の中枢部を構成した諸豪族どうしの争いも表面化した。とはいえ,大陸からの文物の導入に努め,隋唐にならう律令国家の形成へと展開した。朝廷は大王(おおきみ)の権威のもと,大臣(おおおみ)・大連(おおむらじ)を実質的な政務担当者とし,各地に国造(くにのみやつこ)・県主(あがたぬし)を置き,多くの民を部(べ)に組織し支配をすすめた。氏姓制といわれる社会秩序もこのころ行われたもので,それはのちの律令制下においても影響を与え続けた。