●山城の国一揆 やましろのくにいっき
アジア 日本 AD1485 室町時代
1485年(文明17)12月から93年(明応2)8月ごろまで8年間,南山城でおこった畠山義就・政長両軍の撤退を求めた一揆。応仁の乱後,両軍は山城・大和・河内において対陣し散発的に戦った。これらの国々の国人のなかには,この両軍の被官がいて該地に,戦災を被る危険が深まったので,1485年(文明17)12月11日,南山城の15歳から60歳までの国人層(三十六人衆という)らが集会を開き,また同じく一国中の土民層も群集して協議して,この地で戦おうとしている両軍に対する措置を議した。同17日,両軍の国外撤退,寺社本所領の復旧,国中の新関の廃止などの要求を決議して両陣に強硬に迫った。ついに両軍はこれに応じて山城から撤兵した。翌年2月13日,山城の国人らは宇治平等院に集合し,国中の掟法を定め,以後8年にわたる国人による自治支配を行った。掟法の内容は伝わらない。 1493年(明応2)8月,伊勢貞宗が山城の守護となるや,国人層に分裂がおこって鎮圧された。1871年のパリ=コンミューンに比される。